MBA男子の勝手に読書ログ

グロービス経営大学院を卒業したMBA生の書評と雑感。経営に関する基本書、実務書のほか、金融、経済、歴史、人間力、マネジメント力、コミュニケーション力、コーチング、カウンセリング、自己啓発本、ビジネススキル、哲学・思想など、幅広い教養を身につけ、人間性を磨く観点で選書しています。

コミュ障 動物性を失った人類(正高信男)

『コミュ障 動物性を失った人類』(正高信男)(◯)

 これは興味深い内容でした。コミュ障の人は、他人の気持ちを理解する能力に欠けているとか、社会性に乏しいとか言われるが、そういう通説は実は誤解だというのが本書のメッセージの一つ。むしろ、コミュ障の人こそが、他の動物より進化した人間として最も人間的な存在であるかもしれない。コミュ障の人は周囲に引きずられることなく、コミュ障を極めることによってのみ幸福が得られるかもしれないが、それが甚だ困難な社会である。そこでコミュ障の人とその周囲の人々はどういうふうに生きればいいか、そのヒントも含めて書かれています。

 

(印象に残ったところ・・本書より)

◯コミュ障は「聞く耳持たず」

・一旦こうと思い込むと、それに対する否定的な情報は一切、眼中から消え去る。

・これと信じたら、それに都合の良い情報だけが認識され、目標にひたむきに邁進する。周囲が何を言っても馬の耳に念仏。

・その上、自分が「正しい」と思うことをこちらに、グイグイ押し付けてくる。断ると怒る。

・かくして、コミュ障の人はトラブルメーカーにまつりあげられる。

 

◯動物的回路が働かない

・笑い顔と怒り顔を認識する実験結果より。動物的な情報処理回路(皮質下回路)と人間的な情報処理回路(皮質回路)のうち、動物的な情報回路が働かないゆえに、コミュ障の人は怒り顔の迅速な認識が妨げられている。

・通念である「コミュ障は他人の心情を理解することが困難であることに起因するとか、他人の思いに共感する能力に欠けることに起因するといったように、最も高等な社会的能力、すなわち最も人間的とされる資質に問題がある」とは反対。

・笑いは人間にしかない表情。これは動物的回路では処理されない。

・不信の表情や驚きの反応は、受け手にとっては基本的には脅威となる情動であり、ふつう動物的(皮質下)回路で処理される。コミュ障の人はそこが十分に作用しないものだから、人間的(皮質)回路を経由することによって社会的に注目されたものとして、ほとんどポジティブな注目の形で知覚され、心地よい感覚をもたらすからに他ならない。

 

◯コミュ障の人は不快に思われていることがわからない

・コミュ障の人も社会的に注目されることを励みとして、高度な学習を行っていく点では、なんら変わりない。

・怒り顔を向けられているというのもある意味、注目されているという点では、柔和な表情を向けられているのと同じ。

・「〜してはならない」という、もう同じことはやるまいという負の学習を行っていたのが、進化の段階でそればかりではなく、時にポジティブに注目されるという正の学習に変わった。

・ところがコミュ障の人では、その本来の形である「ひんしゅくをかって、周囲から目を向けられている」ということの方に、気が回らなくなってしまっている。何であれ周囲から注目されると、その直前の行動が正の強化を受け、ますます同じ行動をとるようになってしまう。本当のところは周囲は、批判の目を向けているのだが、それが批判と捉えられない。つまり、周りにリアクションを起こさせれば全てOKというふうになっている。

 

◯より良い環境がコミュ障を生み出す

・動物的(皮質下)回路の情報処理が十分に機能しない存在など、生物として見たなら、生存価値は低下するに違いない。

・コミュ障の人とは、人間が生物として本来の生活スタイルを保持しているならば、ふつうよりも身に降りかかるリスクが大きかったはずの人。

・にもかかわらずコミュ障の人が話題になるのは、とりもなおさず、人間の生活スタイルが生物としての本来のそれとはおよそかけ離れたところまで来てしまったから。人工物が身の回りに氾濫し、自分自身の安全を確保するために、自らの五感をフルに活用する必要のない世界へと、自分たちで作り変えて来た結果、自分の安全確保の術に劣る存在であっても、十分にやっていける世の中が出現したからに他ならない。

 

◯木を見て森を見ず

・ふつうの子どもの行っている、全体を「ぱっと見て」という情報処理を可能にしているものこそ、皮質下(動物的な)回路の役割である。そのため、部分ごとの仔細な内容は抜け落ちている。

・コミュ障の子どもは、皮質下回路に頼らず、皮質(人間的な)回路に依存しているものだから、つぶさに見るのだけれど、全体の刺激布置についてはもう一つピンとこないまま。

・コミュ障でない人が相手の目をじっと見続けながら会話をするのは、向こうの顔の真ん中に注意を向けていつも全体を把握しようとする態度の反映。それに対して、コミュ障の人が部分をチェックして回るならば、視線が定まらないようなのも至極もっとも。

・コミュ障でない人からすれば「瑣末」と取れることを、コミュ障の人が金科玉条のごとく尊重するので、トラブルの元になるのだが、情報処理回路の進化という視点からどちらより人間特有のものの見方であるかと問われれば、それは「木を見て森を見ない」方がより人間的であることは、ほとんど自明に近い。

 

◯書くことの経験を

・コミュ障の人自身が意思疎通の齟齬をなくそうとするなら、当人が「書く」技術を高めるのが、遠回りのようでもっとも効果的な方法。

・コミュ障の人は当意即妙でやりとりしようすると、ついつい「はみ出す」。だから心の中で紙に書いて、それを読む術を培えばいい。

 

 人間固有の部分が欠けているのかと思ったら、逆に動物的な生物としての部分が欠けているとは、意外でした。本来なら危険を察知し、防衛本能が働くところ、その認識が低いということから、思わぬチャレンジで成功することもあるということ。本書では、アインシュタインやレオナルドダヴィンチを例にとり、才能の発揮という観点からも書かれており、興味深く発見の多い内容でした。

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