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MBA男子の勝手に読書ログ

グロービス経営大学院を卒業したMBA生の書評と雑感。MBA講座と歩む読書生活。講座関連の書籍、講師お薦め本などを紹介。経営に関する基本書、実務書のほか、金融、経済、歴史、人間力、マネジメント力、コミュニケーション力、コーチング、カウンセリング、自己啓発本、ビジネススキルなど、幅広い教養を身につけ、人間性を磨く観点で選書しています。

職業としての政治(マックス・ヴェーバー)

 『職業としての政治』(マックス・ヴェーバー)<教養>

 1919年、ミュンヘンのある学生団体向けの公開講演をまとめた作品。出口治明さんの『ビジネスに効く最強の読書』で紹介されていたので、読んでみました。100ページちょっとですが、読みごたええあります。

 

(表紙より)

 あらゆる政治行動の原動力は権力(暴力)である。政治は政治であって倫理ではない。そうである以上、この事実は政治の実践者に対して特別な倫理的要求をつきつけずにはいない。では政治に身を投ずる者のそなうべき資格と覚悟は何か。

 

(印象に残ったところ‥本文及びあとがきより)

〇近代国家の社会学的な定義は結局は、国家を含めたすべての政治団体に固有な特殊の手段、つまり物理的暴力の行使に着目して初めて可能となる。「すべての国家は暴力の上に基礎づけられている」

〇国家とはある一定の領域の内部で正当な物理的暴力行使の独占を要求する人間共同体である。国家以外の全ての団体や個人に対しては、国家の側で許容した範囲ないでしか、物理的暴力行使の権利が認められていない。つまり国家が暴力行使への権利の唯一の源泉とみなされているということ。これは、現代に特有な現象である。 

〇政治の本質は本質的属性は権力であり、政治とは国家相互の間であれ国家内部においてであれ、権力の分け前にあずかり権力の配分関係に影響を及ぼそうとする努力である。

〇政治を職業とすると言っても2つの道がある。政治のために生きるか、政治によって生きるか。相容れないものではなく、両方の生き方をするのが普通である。

〇政治が権力(その背景には暴力が控えている)という極めて特殊な手段を用いて行われているという事実は、政治の実践者に対して特別な倫理的要求を課するはず。

〇生粋の官吏は本来の職分からいって政治をなすべきではなく、行政をなすべきである。政治指導者したがって国家指導者の名誉は、自分の行為の責任を自分一人で負うところにあり、この責任を拒否したり転嫁したりすることはできないし、また許されない。官吏として倫理的に極めて優れた人間は、政治家に向かない人間。特に政治的な意味で無責任な人間である。

〇政治家には、情熱、責任性、判断力

 情熱は、それが仕事への奉仕として責任性と結びつき、この仕事に対する責任性が行為の決定的な規準となったときに、初めて政治家を作りだす。そしてそのためには、判断力(政治家の決定的な心理的資質)が必要である。

〇指導者の良き動機もしばしばその仲間のあるいは部下のあまりに人間的な動機によって裏切られるというのが政治の現実である。政治にタッチする人間は、権力の中に身を潜めている悪魔の力と手を結ぶものである。しかもこの悪魔は恐ろしく老獪。

(結論としては)

〇可測、不可測の一切の結果に対する責任を一身に引き受け、道徳的にくじけない人間、政治の倫理がしょせん悪をなす倫理であることを痛切に感じながら、現実の世の中が(自分の立場からみて)どんなに愚かであり卑俗であっても、「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間だけが、政治への転職を持つ。

 

 教養と位置づけ、取り組み始めた岩波文庫シリーズ。普段読んでいるジャンルと異なるジャンルを読んでみると、スピードも理解も落ちてしまう。現状は、理解もままならない感じですが、読み続ければ、何とかなるのだろうか‥。

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