『嫌われる勇気』(岸見一郎、古賀史健)(〇)
フロイト、ユングと並び、心理学の三大巨頭であるアルフレッド・アドラーの思想が哲人と青年の対話方式で描かれています。アドラーの書籍を読んだのは本書が初めてだったので、青年がアドラーの考え方に疑問を感じ哲人に質問をぶつけていく心境にも共感しつつも、読み進めると、「なるほど、こういう考え方をするのか」と次第に気づかされていく一冊でした。
(本書で印象に残った言葉)
〇目的論:過去の原因ではなく、何らかの目的に沿って生きている。
〇大切なのは何が与えられているかではなく、与えられているものをどう使うか。
〇ライフスタイル(性格や気質)は先天的に与えられたものではなく、自分で選んだもの。だから、再び自分で選びなおすことも可能。
少しくらい不便でも今のライフスタイルのほうが使いやすくそのまま変えずにいる方が楽。だから、ライフスタイルを選びなおすとき、我々は大きな”勇気”を試される。アドラー心理学は勇気の心理学。
他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないということコストを支払わない限り自分の生き方を貫くことはできない。つまり、自由になれない。
〇我々を苦しめる劣等感は、客観的な事実ではなく、主観的な解釈である。人の普遍的な欲求に「優越性の追求」(向上したいと願う、理想の状態を追求する)がある。これと対をなすのが劣等感。理想に到達できていない自分い対し、まるで劣っているかのような感覚を抱く。
〇不幸自慢:不幸であることによって「特別」であろうとし、不幸であるという一点において人の上に立とうとする。自らの不幸を特別であるための武器として使っている限り、その人は永遠に不幸を必要とすることになる。
〇承認欲求の否定
承認されることを願うあまり他者が抱いた「こんな人であってほしい」という期待をなぞって生きていくことになる。本当の自分を捨てて他者の人生を生きることになる。
〇課題の分離
およそあらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと、あるいは自分の課題に土足で踏み込まれることによって引き起こされる。課題の分離ができるだけで対人関係は激変する。どこまでが自分の課題で、どこからが他者の課題なのか。
【介入】:他者の課題に土足で踏み込み、「勉強しなさい」とか「あの大学を受けなさい」と指示すること。
【援助】:大前提に課題の分離があり横の関係がある。勉強は子供の課題であると理解したうえで、できることを考える。アドラー心理学では、横の関係の援助を「勇気づけ」と呼ぶ。
〇共同体感覚
全ての悩みは対人関係の悩み。他者からどう見られているかばかりを気にする生き方こそ、私にしか関心を持たない自己中心のライフスタイル。自己への執着を他者への関心に切り替えていく。「この人は私に何を与えてくれるのか」ではなく、「私はこの人に何を与えられるか」を考えなければならない。それが共同体へのコミット。
・共同体感覚には、①自己受容、②他者信頼、③他者貢献が求められる。
・行動目標は、①自立すること、②社会と調和して暮らせること
・それを支える心理面の目標は、①私には能力があるという意識、②人々は私の仲間であるという意識
〇褒めるという行為は「能力のある人が能力のない人に下す評価」という側面がある。褒めたり叱ったりすることは、背後に操作目的がある。アドラー心理学では、賞罰教育を強く否定しているのは、それが子供を操作するためだから。
〇人生は線ではなく点の連続。計画的な人生など、それが必要か不必要かという以前に不可能である。人生における最大の嘘は、「いま、ここ」を生きないこと。
アドラーに関しては、もう何冊か読んで核となる部分を押さえていきたいと思います。自分の未来を決めるのは自分。人の責任にせず、環境すべてを受け入れ、自分で考え行動する自己責任が求められ、自分の未来は、すべて自分が源泉になる。未来への漠然とした理想は持ちつつも、その時その時をしっかり生きていくことが必要ということかなと思いました。