『水平思考の世界』(エドワード・デボノ)(〇)
昭和44年に発売された本書。フィリップ・コトラーが自叙伝『マーケティングと共に』で、”刺激を受けた本”として、紹介されていたので、気になって読んでみました。
内容は、あることを突き詰めて考える「垂直思考」よりも、いろいろな視点から考える「水平思考」のほうが、アイデアを生み出しやすい、という考え方の違いに着目した発想法です。
コトラーが刺激を受けたということは、相当難しいレベルじゃないかと想像しましたが、全然そんなことなく、とても読みやすい、かなりの良書だと思いました。
(印象に残ったところ‥本書より)
本書では、「垂直思考は同じ穴を深く掘る」、「水平思考はさらに別の場所にも穴を掘る」イメージで、垂直思考と水平思考を対比しながら説明されています。
【垂直思考をする人】
〇事態を冷静に見渡し、綿密に検討し、論理的に考えを進める。確実性の高い思考。
→人間にとって既に掘られた穴を論理的に大きくしていくのは非常に楽なこと。
→水平的思考をするためには、この支配的アイデアを「便利な手段」ではなく、「障害になっている」ことを認識すること
→最初に任意に選んだ方法を何度も使っているうちに、それが大変便利なものになってしまい選択の柔軟性を忘れてしまう。
〇一般に問題に取り組む場合、はじめから問題の解決が存在する範囲を設定して、その枠の中で論理を積み重ねる方法がとられる。しかし、その枠はその人の想像にすぎず、実際の解決はしばしばその枠外にあることが多い。ひとつのものごとに熱中する人たちは、何事も一つの固定した枠にはめてものをみている。
〇理論的根拠のある垂直的思考は、各段階で代替案を排除してしまう。
→垂直思考が本質的に新しいアイデアを生み出す場合に役立たないばかりか、アイデアの生まれるのを抑制している事実を知らなければならない。
〇分析というものは、二番煎じであって、新しいアイデアの発見者の思考そのものではない。
【水平志向をする人】
事態を別の方向から全く違ったものの見方を求めるもの。新しいアイデアを生む場合に必要。確実性の低い思考。
〇すでに掘り進んでいる穴を放棄して、別な新しい穴を掘り始めることによって、新しいアイデアが生まれる。新しい穴を掘り始める動機は、古い穴への不満、新しい穴を掘ることを知らなかった、気分転換の必要、全くの気まぐれなど。しかし、穴を変えることは、まことに稀なこと。それは、教育がそのように仕向けている面がある。
〇垂直思考をもってしては、問題の解決策を見いだせなかったり、新しいアイデアを要求される場合は、水平的思考を利用すべき。
〇水平思考は、一定の方向に向かったパターンを離れ、別のいくつかのパターンに移行すること。ただし、垂直的思考にとって代わるものではなく、垂直思考を補うもの。水平的思考で到達した結論を導くのに垂直的思考を使って害があるはずがない。
〇水平的思考では常に正しいことは必要としない。最終的な結論が正しければ良い。各段階がどこででも正しくあるべきだという考え方は、おそらく、新しいアイデアを生み出す最大の障害となる。
〇ときには、到達した後にそれが確かな道かどうか後で調べてみたほうが易しい場合がある。最もやさしい道を見つけるには、山頂に登ってみなければならない場合もある。
【水平思考に至るためのヒント】
〇いろいろなものの見方を採るということは、頭脳にとっては不自然なこと。
だから意図的に努力しなければならない。
・方法1:ものの見方の数をあらかじめ決める(3つは意識的に見るなど)
・方法2:ものの関係を意識的にひっくり返す
・方法3:その状況をより扱いやすいものに変える(制約を取り除く)
・方法4:力点を別の部分へ移す
〇はっきりしたものの見方から、それほどはっきりしない見方へ返るには、力点の置き換えが必要。
(例①)なぜ人々は天然痘にかかるのかという見方から、なぜ酪農場で働く女性は天然痘にかからないのかという見方に変えることで医学上の大発見をした。
(例②)シャーロックホームズの助手は、犬は何もしていないようだから事件に関係ないという見方をしたが、ホームズは、犬が何かをするだろうと思われていたのに何もしなかったということは、非常に重要なことだと言ってそこから事件を解決した。
〇様々な見方で成功しているものとして、数学の方程式は同じことを異なる見方で左右に表している。
「なかなか、いいアイデアが浮かばない‥」「他の方の意見にハッとさせられる‥」。最近、自分の発想が固定化していることを感じることが多くなっています。
それに対し、例えば最近では、読まないジャンルの本を読んだり、これまで触れなてこなかった落語、舞台、音楽に触れてみてみたり‥と、少しでも視野を広げて、頭を柔らかくと心掛けています。
本書にある「水平思考は、意図的に努力すること」にとても納得感がありました。