今年の大河ドラマ「花燃ゆ」の主人公の兄、吉田松陰(1830~1859)。
長州藩士で、松下村塾を開塾し、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋などを輩出したことで有名な方ですが、先日参加したセミナーで、「吉田松陰の教える・学ぶ姿勢が素晴らしい」との話を聞いたので、読んでみました。
吉田松陰をテーマとした小説ということで、司馬遼太郎さんの『世に棲む日々』と本書のどちらを読むか迷いましたが、「教える・学ぶ姿勢を学ぶ」という今回の目的にあわせ、随所に著者の解釈が入っている本書を選択しました。
(印象に残ったところ‥本書より)
〇「ぼくはきみたちの師ではない。ぼくもきみたちと共に学ぶ同志だ」「自分は学問のしもべだ。その意味では門人たちとはなにも立場は変わらない。自分も門人たちから教えられることがある」
→この謙虚な態度が、門人たちの自覚を促し、自分たちの能力を認識させ、目覚めさせ、そして、自信を持たせた。また、門人に対する言葉づかいは、常に「あなた」と呼び、自分のことは「ぼく」といった。ぼくとは、「学僕」、すなわち学問のしもべの意味。
〇教育方法は、「現代とは何か」、「現代で一番問題なのは何か」、「それを解決するために、自分の全存在はどういう役に立つのか」という探求。
→常に自分が完全だとは思わなかった。最後まで修行者であり、常に欠点を抱えた存在であると認識していた。だから、子弟にも「きみたちの長所で、ぼくの短所を埋めてくれたまえ」と語り続けた。
〇役に立つ学問とは
「何学でもいい、足らざるところを他のものによって補い合うのが本当の学問だ」、「現実の生活で苦しんでいる人たちに役立たなければ、そんなものは学問ではない」、「実学が実学であるためには、自分が実際に体験をしなければならない」
→実践主義を主張し、自ら行動した。松下村塾を開く前のかれほど、日本全国を歩き回ったひとはいないし、行動した人間もいない。「毎日起こっている事件を教材にしてみんなで考えよう」「今生きている我々の生活と無縁な学問は真の学問ではない」と考え、門人たちに世の中で起こっていることに着目させた。自らも、常に聞いたことや耳にしたことをメモに取り、『飛耳長目録』としてまとめたことが知られている。
〇個性にあわせた教育
テキストは指定しなかった。門人のほうから、「この本について教えてほしい」と言ってくるような自主性を重んじた。「その本は、こういう読み方をするのが良い」と親切なヒントや説明をした。言ってみれば、「門人一人ひとりが選んだ書物を尊重した」。
→門人一人ひとりの性格は違い、能力も違う。それを承知のうえで自分で選んだ書物は、尊重すべきである。
〇共通する基礎部分を学ぶ
それぞれの個性と求めている方向は大切にする。が、求めるものと志す方向とをより良いものにするためには、共通する基礎部分をしっかりと互いに学ぶことが必要。詩や絵画も現在の社会と無関係ではありえない。基本は現在の世の中と、各分野の世の中に生きる人間とのかかわりを失ってはいけない。
→現状認識を保ち続けながら、自分の志す分野で頑張ること。
〇「あくまでも相手の立場に立って、こっちの教え方を変えていこう」
→「人を教える」とは言わなかった。「ともに学ぼう」といった。
→江戸時代のある意大名が言った「人づくりは木づくり」ということば。
→「相手は一本一本の木だ。種類が違う。したがって、潜めている可能性も違う。それを引き出し、こっちの可能性と乗算(かけ算)を行うことによって、お互いに資質を伸ばしていこう」
生涯自らも一緒に学ぶという姿勢を保ち続けた松陰。一人ひとりにあった学問を考え、押し付けるのではなくて、能力を引き出すことを大切に考えた教育姿勢。
「教育」や「学び」という領域において、自分の立ち位置をどう考えるかという深い内容に、とても感銘を受けました。