『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎)(〇)
これは心に響く良い本でした。1937年発刊。2年前に父を亡くした中学2年生の通称コペル君の精神的成長を描いた物語。日常生活で経験したことが人生において持つ意味合いをおじさんから学び、人として生きていくうえで大切なものに気づいていくという内容です。
岩波文庫は読むのが難しいという印象がありますが、これは、読みやすいです。
(印象に残ったところ‥本書より)
〇知らないうちに、自己中心的な考え方に陥っていないか?
コペルニクスのように自分たちは地球が広い宇宙の中の天体の一つとして、その中を動いていると考えるか、それとも、自分たちの地球が宇宙の中心にどっかりと座りこんでいると考えるか。
この2つの考え方というものは、世の中とか人生とかを考えるときにも、ついてまわる。自分中心の考え方を抜けきっている人は、広い世の中にも実に稀。殊に損得に関わることになると自分を離れて正しく判断していくということは、非常に難しい。たいがいの人が、手前勝手な考え方に陥って、ものの真相が分からなくなり、自分に都合のよいことだけを見ていこうとする。
〇本当の思想とは?
自分が本当に感じたことや真実心を動かされたことから出発して、その意味を考えていくことが肝心。何かしみじみと感じたり、心の底から思ったりしたことを少しもごまかしてはいけない。どういう場合、どういうことに、どんな感じを受けたか。それをよく考えると、ある時、あるところで、ある感動を受けたという、ただ一度の経験の中にとどまらない意味のあることが分かってくる。それが本当の思想というものだ。
世間には、他人の目に立派に見えるようにと振る舞っている人が随分ある。そういう人は、自分が人の眼にどう映るかということを一番気にするようになって、本当の自分、ありのままの自分がどんなものかということを、つい、お留守にしてしまう。
〇「ありがたい」という意味
この言葉のもともとの意味は、「そうあることが難しい」という意味。「めったにあることじゃあない」という意味。自分の受けている仕合せが、めったにあることじゃあないと思えばこそ、われわれは、それに感謝する気持ちになる。
〇善良さ
大人になってゆくと、良い心がけをもっていながら、弱いばかりにその心がけを活かしきれないでいる、小さな善人がどんなに多いかということを、おいおいに知ってくるだろう。世間には、悪い人ではないが、弱い人ばかりに、自分にも他人にも余計な不幸を招いている人が少なくない。人類の進歩と結びつかない英雄的な精神も空しいが、英雄的な気魄を欠いた善良さも、同じように空しいことが多いのだ。
〇後悔が持つ意味
そのことだけを考えれば取り返しがつかないかもしれないが、その後悔のおかげで、人間として肝心なことを、心にしみとおるようにして知れば、その経験は無駄じゃない。それから後の生活が、そのおかげで、前よりもずっとしっかりした、深みのあるものになるんです。それだけ人間として偉くなるんです。だから、どんなときにも、自分に絶望したりしてはいけないんです。立ち直ってくれば、立派であるということは、誰かがきっと知ってくれます。
子供の頃に感じた大切なことも、大人になり、その時その時の環境の中で必死に生きていくうちに、あらためて考えることもなくなり、ついつい忘れてしまいそうになる。ちょっと立ち止まってみて、人が人とかかわりを持ちながら生きていくうえで、大切なことについて振り返ってみる時間も大切ですね。「ありがたい」の意味を噛みしめながら。