『黒霧島物語』(馬場燃)
書店で平積みされているのを見つけ即買いしました。昨年、プライベートで訪問し、工場見学させてもらってから1年。ついに書籍化されたのかと、感慨深く読ませていただきました。
本書は、黒霧島で焼酎業界トップに躍進した霧島酒造さんの取り組みの歴史が記されています。
(印象に残ったところ‥本書より)
〇デフレ時代に売上7倍
1998年度:約82億円弱 → 2013年度:約566億円
〇初代社長の口グセ
「焼酎造りは難しくない。おいしいものを大量に造ることが難しい」
〇芋での勝負
1970年代、80年代の2度の焼酎ブーム。三和酒類と二階堂の麦焼酎が大人気の中、2代目社長は、「うちが造ったとしても売れない。芋で勝負するんだ」。なぜなら、「芋がうまいからだ」と、芋へのこだわりを捨てなかった。
〇芋焼酎のイメージ変革(96年~:3代目社長の時代)
芋焼酎の商品全体に「ダサイ」というイメージがあり、一度、芋臭いと敬遠した消費者が再び芋焼酎を手に取る可能性は皆無に等しい。マイナスの印象を変えなければならない。
焼酎は食事のイメージではなくあくまでサブの飲み物。焼酎そのものが風味を主張しすぎてはいけない。
黒という新しいカテゴリーを本格的につくり、食に合う焼酎を造りだす。黒と白の焼酎を造って、お客様のニーズを職との連動で引き出し、需要拡大を図る。
〇役員会の猛反対(企画室のメンバー以外は全員反対)
「冗談じゃない。うちは葬儀屋じゃない」「こんなものが売れるわけないだろう」。黒字に金のデザインは、古い社員には、到底許容できる代物ではなかった。
⇒何度反対されても商品の価値を訴え、しまいには、黒字に金色のストライプが入ったネクタイを着用して説得した。⇒98年:宮崎県内の限定発売で了解を取り付けた(信念と粘り)
〇宮崎県庁の女性の反応
焼酎好きの玄人を想定した商品だったが、女性が飲み始めた。アルコールに弱い女性でもスッと飲める。ビールも飲めない人でも飲めたなどの声が集まる。
⇒焼酎業界のスーパードライになるかもしれない予感
〇営業VS製造
3代目社長は、2001年、福岡での売上2倍作戦にあたり、製造部長と営業部長を呼び出し、全社員の前で握手することを命じた。それまで営業と製造は水と油の関係。
2代目社長が製造にしか関心を示さず、必前提に営業との距離が遠く縦割り意識が強かったことが影響。
⇒営業と製造が握手をすることは、以前ではありえなかったので、福岡で売るという社長の覚悟が伝わる。
〇「トロッとすっきり」黒霧島
黒霧島の魅力を伝えるには、売るための言葉が必要。
〇営業担当
「ハローレディー」と呼ばれる女性営業担当を採用。昔ながらの酒屋には「頑固おやじ」がデンと座っていることも少なくないが、女性なら和やかに営業トークが進められる可能性が高いと判断し、これが成功。
〇サンプル配布
「朝」に「駅」で配付。「夜」に「飲み屋」ではなかった。職場での話題づくりに重点を置いた。簡単なアンケートに答えてファックスでおくると、会社まで1ケース(200ml×30本)が無料で届く仕組みで、飲んでもらう人を増やした。無料サンプルは10万本を超える。
〇1000万本販売へ
その後、2002年ナイナイがTV番組で黒霧島を絶賛したことで知名度が高まり、年間1000万本の販売を達成。
〇その他のポイント
・ストーリー:霧島地方でしか作れないストーリーを大事にする
・№1ブランド:キューピー、カゴメのように、商品者の8割が№1ブランドを選ぶようなブランドづくりを行う。
・ブランド展開:伊藤園のように「お~いお茶」の銘柄を「緑茶」や「濃い味」と複数展開することでブランド価値を高めることが目標とする形。
また、黒霧島が飲みたくなった。そして、また宮崎に行きたくなった・・。
クロキリ(黒霧島)、シロキリ(白霧島)、アカキリ(赤霧島)が有名な霧島酒造さんですが、そのほかにも、金霧島(バニラエッセンスが効いて美味しい)、茜霧島(一度しか見たことがない・・)など、色シリーズがたくさん。
本書でも海外戦略について、少し触れられていましたが、海外市場の開拓も含め、今後の展開が楽しみな企業です。