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MBA男子の勝手に読書ログ

グロービス経営大学院を卒業したMBA生の書評と雑感。MBA講座と歩む読書生活。講座関連の書籍、講師お薦め本などを紹介。経営に関する基本書、実務書のほか、金融、経済、歴史、人間力、マネジメント力、コミュニケーション力、コーチング、カウンセリング、自己啓発本、ビジネススキルなど、幅広い教養を身につけ、人間性を磨く観点で選書しています。

戦後経済史(野口悠紀雄)

『戦後経済史』(野口悠紀雄)(〇)

 戦後70年。戦時中に制定された国家総動員法による経済体制から、高度経済成長への転換。日米摩擦からバブル経済、その後の失われた20年。日本の経済構造はどのように変化し、これから未来を構築していく手がかりは何か。大蔵省時代の著者の経験も踏まえて書かれた、戦後日本経済史を理解するための良書です。

 

(印象に残ったところ‥本書より)

〇戦時体制~戦後

・臨時資金調整法(1937年)、銀行等資金運用令(1940年)、金融統制団体令(1942年):金融機関の融資を統制し、軍需産業への融資を優先、直接金融から間接金融への転換。株主への配当を制限。

・戦後、日本経済の復興のためにまず行われたのは、金融機関の救済。次いで、傾斜生産方式による基幹産業の再建(不足する資源を石炭と鉄を中心とする基幹産業に資金を重点的に配分)

・臨時金利調整法(1945年):低金利政策→資金への超過需要発生。

過度経済力集中排除法(1947年):大企業の企業分割(日本製鉄、三菱重工業王子製紙など)。金融機関はほぼ無傷。

農地改革(1947~50年):不在地主のすべての貸付地、在村地主の貸付地のうち一定面積を超える農地を政府が強制的に買い上げ、小作人に売却。

外為法(1949年):円を外貨に両替できるのは、政府指定の外為銀行に限られる。輸入承認は、通産大臣の許可が必要(通産省が強力な権限を持つ)。

神武景気(1954年~):復興需要、朝鮮特需に依存した成長から内需による自律成長への移行→戦後復興の終了。

 

〇高度成長

所得倍増計画(1960年:池田内閣):10年で所得2倍。名目GDPは、1955~70年にかけ、5年ごとに約2倍に成長。人口も増加。一人当たり所得も1960~66年までに2.3倍に。高度成長とは、農業社会が工業化していく過程。

→先進国のモデルがあるのでそれを真似、将来を予測することも容易。産業構造転換のスピードも必然的に加速。

・中国が70年代後半まで大躍進政策鎖国状態にあり工業化が遅れたため、日本の輸出が増加し行動成長が進む

・高度成長の陰

①石炭:重油へシフト

②農業:製造業の発達に伴い農業所得は相対的に低下。食糧管理制度による所得補償

中小零細企業:大企業との二重構造

・高度成長の制度的基盤

①低金利資金割当:国外との資本取引制限、直接金融の禁止と人為的金利

財政投融資郵便貯金資金運用→社会資本整備、基幹産業への低利融資。一般会計予算と異なり、国会の議決対象ではなく、大蔵省が独断で決定できる第二の予算と言われ、一般会計予算を補完。国債発行に頼らない財政均衡策を維持できたのは、財政投融資との組み合わせがあったため。

岩戸景気の終わり(1961年):株価下げ→11月ケネディ大統領暗殺により大暴落

 

〇石油ショック

ニクソン・ショック(1971年)

 日本、西ドイツの経常黒字、米国の経常赤字。ブレトンウッズ体制による固定為替相場(金1オンス=35ドルの前後1%)→35ドル前後2.25%へ拡大、通貨は対米ドルで平均7.89%切り下げ1ドル360円→308円へ(スミソニアン合意)→変動相場制へ

・石油ショック:第4次中東戦争(1973年):イスラエル支援国に対する石油の禁輸と石油価格引き上げ→1974年消費者物価上昇が対前年比23%(狂乱物価)

日本列島改造論(1974年、田中内閣):日本全土を貢租蔵人や新幹線などの高速交通で結び、地方の工業化を推進、過疎と過密の問題を同時に解決するという地方開発政策→土地の買い占め→年率10%を超えるインフレ→公定歩合引上げ(1973年)

・石油ショックからの回復要因

①為替レート:円高の進行→輸入物価の低下→原油価格高騰が緩和

②企業別労働組合のもと企業と従業員が一つの目標に向かって協力(1940年体制が真価を発揮)

 

〇金ぴかの80年代

・ジャパンアズナンバーワン:自動車、半導体の躍進

・人口構造:1980年には65歳以上人口はわずか9.1%

・80年代に入っても資本市場は外国に対し閉鎖的。輸出するが日本に対する投資は認めない→外国からの批判→80年代以降金融制度を徐々に自由化→プラザ合意(1985年)→円高の進展(1ドル235円→86年150円→87年120円→輸入減少懸念)→内需拡大、市場開放、金融自由化(前川レポート)→日米構造協議(1989年)

・急激な円高に対する金融緩和:公定歩合9%(1980年)→5%(83年)→2.5%(87年)→マネーサプライの増加率2ケタ

・米国貿易赤字拡大の中、ルーブル合意によるドル安を止める金融引き締めが予測→ブラックマンデー(1987年)→株価暴落

 日本は地価上昇の兆しが見え始め、本来金利を引き上げるべきだったが、金利を引き上げればドル安を加速し、世界恐慌に繋がる懸念があったため、日銀は利上げを見送った→異常な金融緩和措置が放置され、バブルを引き起こした。

財テク:株価の持続的上昇が続いたため、大企業は株式市場からの資金調達増加。規制緩和社債発行が増加→金利が高い大口定期預金に預け利ザヤを稼ぐ。「企業の財務担当者で財テクを行わない者は無能である」と言われる時代。

・土地:1983年頃から地価上昇。1986年ごろから「地上げ」、「土地ころがし」という言葉が現われる→国土庁発行の白書でも「東京圏を中心とする地価上昇は実需による」と見解が提示。

・株価:89年末に38,915円に。翌正月の新聞には「株価はもうじき6万円台になる」との予測も。

・ゴルフ場開発:「夢の錬金術」。会員権の額面の9割を預託金で集める。手持ち資金が無くても銀行は残りの1割を貸してくれるので簡単に不動産開発できる

・企業の設備投資需要:高度成長期のような旺盛な資金需要がなくなった。

 

バブル崩壊

・株価低下(1990年初):89年12月に就任した日銀総裁は「サラリーマンが一生働いても家が買えないような世の中は間違っており金融引き締めによって地価を抑制すべき」として、連続的に金融引き締めを実施。

・総量規制(1990年3月):「土地関連融資の抑制について」(大蔵省通達)で不動産向け融資に上限を設ける行政指導を実施。しかし現実には、大手銀行の子会社である住宅金融専門会社住専)は、総量規制の適用外となったため、規制実施後も積極的な不動産投資が続いた→落ちる株価と上がる地下をみて「やはり地価はバブルではない」という意見が強まる。

不良債権:94年東京協和信組と安全信組で巨額不良債権発見。92年~06年までの不良債権処理は約97兆円。損金処理を認めて処理を促進したので、実行税率を40%とすると約39兆円税収が減ったことになる。

住専問題:95年大蔵省の立ち入り検査で8兆円超の不良債権発見→設立母体の民間銀行に損失を負わせる一方、「農協に損失負担はさせない」として、農林系金融機関の負担を超える部分に6850億円の公的資金を投入。

山一證券破綻:営業特金(法人資金を一任勘定で預かり証券会社が運用する一種の元本保証)で出た損失を飛ばしを行って処理。これが表面化して自主廃業へ。

・銀行破たん:拓銀長銀日債銀が不動産投資が不良債権化し破綻。11兆円超の公的資金が投入される

 

〇これからの日本

・「要素価格均等化定理」:貿易が行われる世界いおいて、二国が同じ技術で生産活動をしていれば、労働などの生産要素が国境を越えて動かなくとも、賃金が金等価していくという定理。日本の賃金は中国並に低下することになる。

 賃金低下から逃れたいと思えば、中国ではできない経済活動、つまり生産性の高い新しい産業が誕生することによってしか問題は解決できない。金融緩和によってでは長期的停滞から抜け出せない基本的な原因はここにある。

 

 戦後経済をおさらいするのは、要点だけでもかなり長くなりますが、流れとしてイメージしておくことは、今の日本を理解し、未来を考える上でとても大事なことだと思います。特に、政治、行政、金融が与える影響いつの時代も大きいですね。日本の未来はどうあるべきか。難しい問題ですが、自分なりに考えていきたい永遠のテーマでもあります。

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