全26巻。3度目の挑戦.。
今回は、リーダーとしての徳川家康を意識して読んでいます。.
(第24巻の見どころ‥小説なので詳細は割愛します)
1614年大坂冬の陣から1615年4月までの半年間が描かれています。
決戦ならないように時間を稼ぎ、豊臣秀頼に大和の国へ平和的に移封を望む家康と、淀君をはじめ秀頼を取り巻く人々との思いのすれ違い。冬の陣は、大坂城に放たれた2発の大砲で一気に講和へ。「外堀」を埋める約束が、年末のドタバタの中で内堀も含めた「総堀」の埋め立てまで進める。「そとぼり」か「そうぼり」か。丸裸になった大坂城を見て戦いを諦めることを期待した家康だったが、大坂勢は再度大坂城に集結し始める。
(備忘‥年表のみ。年齢は数え年)
・1614年10月(73歳):家康、秀忠に使いを遣わし、大軍を徐行するよう命じる
・1614年11月(73歳):加藤嘉明の嫡子明成が摂津神崎川を渡り中ノ島で緒戦
・1614年11月(73歳):家康、二条城を発し大阪に向かい奈良に着く
・1614年11月(73歳):家康・秀忠、摂津茶臼山に会合し軍議を開く
・1614年11月(73歳):藤堂高虎に命じて、大坂城西南のやぐらを砲撃させる
・1614年12月(73歳):矢文を城中に送り、降伏する者は許すことを告げる
・1614年12月(73歳):砲術の優れた者を選び、城内を砲撃する
・1614年12月(73歳):講和。九州の諸軍を本国へ帰らせる。松平忠明・本多忠政・本多康紀らを大坂城外構え取り壊しと総堀埋め立ての普請奉行とし、諸大名に助力を命じる。
・1615年1月(74歳):二条城を出発し、駿府に向かう。
・1615年2月(74歳):家康、駿府に帰り、秀忠、江戸に帰る
大坂方の意地は家康の平和を想う気持ちと相いれないという人間の心理の難しいところが大阪冬の陣の根本にありそうです。関ケ原の戦いから14年間経った程度では、人の記憶、気持ちはそれほど簡単には変わらない。やはり一世代くらいの時間が必要なのでしょうか。