『嫉妬学』(和田秀樹)(〇)
企業家リーダーシップの授業で堀学長からお薦め書籍としてご紹介があった本書。嫉妬には、足を引っ張る”エンビー”嫉妬と、上を目指す”ジェラシー”嫉妬がある。方や人間を恨みの塊のようにして、相手だけでなく自分までも不幸いしてしまう恐ろしい攻撃型の源泉としての嫉妬、方や人間に競争心を起こさせ成長の原動力になる嫉妬。そんな嫉妬に対する考え方について、時代背景を押さえながら論じられています。
■ひとことまとめ
ジェラシーかエンビーか。嫉妬を前進する力に変えること。
(印象に残ったところ‥本書より)
〇ジェラシー型嫉妬とは
「あの人のようになりたい」「あいつには負けたくない」というように目標とする相手やライバルに対し、「自分の実力を伸ばす」ことで勝ち抜こうというポジティブな嫉妬こと。「誰かに負けるのは悔しい」「誰にも負けたくない」という嫉妬の感情。
〇エンビー型嫉妬とは
嫉妬の対象となっている相手をただ羨むだけで自らの実力を伸ばそうとはせず、代わりに足を引っ張ったり悪口を言うことで相手を貶め、「相対的に自らの立場を上にしよう」というネガティブな志向の嫉妬のこと。絶対に勝てそうにない相手に対して感じる嫉妬の感情や有名人の不祥事やスキャンダルを喜んでしまう感情。
〇高度成長期(ジェラシー型嫉妬が優勢)
学歴信仰は今でこそ批判が多いが、学歴を支えているのは、「勉強して頑張れば上に行ける」というジェラシー型嫉妬。高度成長期は健全なジェラシー型嫉妬をテコにした人々が勉強し、勤勉に働くような競争構造ができた。しかしそれと同時に所得面であまり格差をつけないことで、競争の勝ち組に対し負け組が強いエンビー型嫉妬を抱かないようにした。
〇自己愛が満たされないとエンビーになる
自己愛が傷つけられたとき、人は自分より勝っている人間が失敗して勝者の座から滑り落ちることに快感を覚える。人間の嫉妬がジェラシーに傾くのかエンビーに傾くのかは、自己愛に還元できる部分が大きい。
〇メランコ/シゾフレ
現在の日本は、若い人は圧倒的に相対主義的なシゾフレ人間が増えている。簡単に他人を理想化したり神格化したりし、ジェラシー型嫉妬には歯止めがかかるが、他人をダメとみなすと手のひらを返して皆で馬鹿にするエンビー型嫉妬が起きやすい。すると、「敗者が立ち直りにくい」社会になる可能性がある。
〇社会構造に見るエンビー型嫉妬
・鎖国政策をとった江戸時代は、エンビー型嫉妬に寛容な風土が固定化された時代。
・明治維新を機に、身分制度が撤廃され近代化を果たすジェラシー型嫉妬を鼓舞する時代へ
・第一次大戦で戦勝国の一角を占めるようになると社会の上層階層が固定化し、嫉妬の構造も実力主義のジェラシー型から人の足を引っ張るエンビー型へ変化。
・高度成長はみなが豊かになるジェラシー型嫉妬の時代
・現在は、所得格差による再階層化が進むと再びエンビー型嫉妬へ
→社会がある種の停滞状況を迎えると、人々の嫉妬の質は競争優位のジェラシー型から足を引っ張り合うエンビー型に変わっていき、その結果さらに社会が停滞・腐敗していくという負のスパイラルが生じる。
自分の意思よりも他人にどう思われているかという「他人からの評価」を重視する傾向がある。
〇メランコ人間(躁鬱型気質を持つ人)
周囲がどう思おうと自分の意思や好みを尊重する。
〇シゾフレ/メランコ
現在の日本の停滞は経済がピークに達した後に社会がシゾフレ化したことに原因がある。まずシゾフレからメランコに変えるべき。大学を筆頭に教育の世界が全般的に同調圧力の高いシゾフレ的になっていることが問題。
時代の流れとともに移り変わる「ジェラシー/エンビー」とその背景にある「シゾフレ/メランコ」という気質。教育の問題や経済状況と相まって世の中を風潮をつくり出している要素であり、意識に留めておきたい切り口だと思います。