MBA男子の勝手に読書ログ

グロービス経営大学院を卒業したMBA生の書評と雑感。経営に関する基本書、実務書のほか、金融、経済、歴史、人間力、マネジメント力、コミュニケーション力、コーチング、カウンセリング、自己啓発本、ビジネススキル、哲学・思想など、幅広い教養を身につけ、人間性を磨く観点で選書しています。

徳川家康(25)(山岡荘八)

徳川家康(25)』(山岡荘八)(〇)

 全26巻。3度目の挑戦.。
 今回は、リーダーとしての徳川家康を意識して読んでいます。.

 

(第25巻の見どころ‥小説なので詳細は割愛します)
 第25巻は、大坂夏の陣。夏といっても1615年4~5月(新暦で6月)に行われた戦い。

 4月28日に摂津・和泉で戦いが始まってから5月8日の大坂城落城まで、わずか11日。ついに平和的解決ができずに豊臣家が滅びる。この時、息子秀頼とともに自決した淀君は49歳。父浅井長政(信長に滅ぼされ自決)、母お市の方(信長の妹で再婚した柴田勝家とともに秀吉に滅ぼされ自決)、その秀吉との間にできた秀頼。淀君の数奇な運命を感じざるを得ません。ようやく戦国時代の幕が閉じる第25巻でした。

 

(備忘‥年表のみ。年齢は数え年)
・1615年4月5日(74歳):大坂方が戦の準備をしていると聞き、秀頼に大和または伊勢に移るか、浪人すべてを放逐するかを求める。

・1615年4月26日(74歳):大坂方の京都放火の陰謀を聞き、翌日の出撃を中止、出陣の日を5月3日に延期する。

・1615年4月28日(74歳):大坂方の将士、摂津住吉、和泉堺等に放火し、関東方の向井忠勝、九鬼守隆らと激戦する。

・1615年5月3日(74歳):出陣をさらに延期し、5月5日とする。

・1615年5月6日(74歳):河内片山・道明寺付近にて豊臣軍と激戦し大勝。

・1615年5月7日(74歳):摂津茶磨山・岡山付近で豊臣軍と激戦。関東方も諸将の戦死者が出る。豊臣軍は真田幸村らが戦死。大坂城は焼け、大坂方は敗れる。

・1615年5月8日(74歳):豊臣秀頼淀君ら自決。家康二条城へ凱旋。

 

 大坂方の意地による戦い。やはり意地を収めるには戦うしかなかったのか。当時の価値観は今では理解できないものですが、明確な目的以上に人動かす何かがあったとしか思えない戦いだったという点が、領土争いを繰り広げた戦国時代とは異なる点だったように思います。

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