第十一巻「終わりの始まり」は、五賢帝最後のマルクス・アウレリウスが半分強、残りはタイトルの終わりの始まりの皇帝になるコモドゥス、そして内乱の時代、皇帝セヴェルスの時代が描かれています。一旦歯車が狂い始めると、あれほどの栄華を極めたローマ帝国がなぜに?と思える崩れ始め。やはり能力のない者への世襲がきっかけでした・・。いつの時代も難しい世代交代五賢帝時代が保たれたのは、「息子は選べないが後継者は選べる」として、能力あるものを養子に迎えたからでしたが、コモドゥスはマルクス・アウレリウスの息子の中で唯一成人に育った実子。実力主義に徹して、コモドゥスを後継者にしなかったらどうなったか。悔やまれる皇帝承継が歴史を動かす。
(第十一巻のポイント‥本書より)
〇主な年表
・161年:マルクス・アウレリウスとルキウス・ヴェルス、共同皇帝に即位。
・162年:マルクス、ルキウスのシリア派遣を決める。
・163年:マルクス、ルキウスと娘ルチッラの婚約を決める。
・168年:マルクスとルキウス、ドナウ河前線へ向けローマを出発。
・169年:ルキウス、アクィレイアからローマへ戻る途中、病死(39歳)。
・180年:マルクス死去(58歳)、コモドゥスが単独皇帝に。
・182年:コモドゥスの姉ルチッラ、コモドゥスの暗殺を企てるが未遂に終わり流刑。
・187年:コモドゥス、義兄弟のマメルティヌストブルスを皇帝暗殺計画のかどで処刑。
・192年:コモドゥス暗殺される(31歳)。
・193年:ペルティナクス、元老院の賛同を得て皇帝即位するも同年3月殺害される(66歳)。
・193年:ディディウス・ユリアヌス、元老院の承認を得て皇帝就任するも同年6月殺害される。
・193年:元老院、セヴェルスとアルビヌスの共同皇帝就任を承認。
・197年:セヴェルス、26人の元老院議員をアルビヌス派として粛清。アルビヌス自死し、セヴェルスが単独皇帝となる。
・211年:セヴェルス死去(64歳)、カラカラとゲタが皇帝即位。
・212年:カラカラ、パラティーノの丘の皇宮でゲタを殺害。
〇印象に残った言葉など
・戦略は、現状を正確に把握していさえすれば立てられるというものではない。過去、現在、未来を視野に入れたうえで、それらを総合して立てるものである。そうでないと、たとえ勝利してもそれを有機的に活用することができない。活用できないと戦闘には勝ったが戦争には負けたということになってしまいがちだ。「自覚」が重要なのは、是こそが一貫した戦略の支柱になるからで、それが確立していないと、戦争の長期化に繋がりやすい。戦争は、攻められる側だけでなく、攻める側にとっても悪である。「悪」なのだから、早く終わらせることが何よりもの「善」になる。
・危機に直面したときに講ずる打開策は、その重要度に応じて優先順位を決め、その順に実施していくのが最も安全で確実なやり方である。だが、優先順位を決められない場合も多い。このようなときは、いくつかの策を同時進行で進めざるを得なくなる。その場合に重要なのは、実施の速度と、実施する際に迷わないことの二事であった。
・内戦とは、自分で自分の肉体を傷つけ、自らの血を流すこと。出血多量は死に至らなかったとしても、体力の減退は避けられない。