MBA男子の勝手に読書ログ

グロービス経営大学院を卒業したMBA生の書評と雑感。経営に関する基本書、実務書のほか、金融、経済、歴史、人間力、マネジメント力、コミュニケーション力、コーチング、カウンセリング、自己啓発本、ビジネススキル、哲学・思想など、幅広い教養を身につけ、人間性を磨く観点で選書しています。

ローマ人の物語Ⅱ(塩野七生)

ローマ人の物語Ⅱ』(塩野七生)(〇)<2回目>

 第2巻は、丸ごと1冊ポエニ戦争。名将ハンニバルVS名将スキピオを描いた「ハンニバル戦記」です。2人は12歳の年齢差があり、まず向かうところ敵なしのハンニバルの活躍。そして、後半はハンニバルのイタリア南部での孤立と、若き英雄スキピオの活躍。晩年は2人とも恵まれず、最後は同年に亡くなるという運命めいた結末。精読2回目は順を追って頭が整理でき、面白さも、読むスピードも増してきています。

 

(印象に残ったところ‥本書より)

〇第一次ポエニ戦役(紀元前264~241年)

・紀元前264年:シチリアメッシーナカルタゴが支援するシラクサに攻められ、ローマに支援を求める(メッシーナ同盟協定締結)。シチリアカルタゴ拠点アグリジェントをローマが攻略。

・ミラッツオの海戦:ローマ勝利。カルタゴは海軍の1/3を失う。

・マルサラ沖海戦:ローマ勝利。

・紀元前255年:アフリカ上陸。カルタゴに敗れ、執政官レグルスが捕虜に。

・紀元前253年:シチリアカルタゴ拠点パレルモ陥落。海難事故で150隻を失う。

・紀元前241年:マレッティモの海戦でローマ勝利。講和。カルタゴシチリアの領有権を失う。

 

〇第二次ポエニ戦争(期限前218~201年)

・紀元前218年:ハンニバルカルタヘーナを出発し、アルプス越え。

・ティチーノ(第一回戦)の騎兵戦でハンニバル勝利。

・ローマの兵糧貯蔵地カステッジョを落とした後、トレッビア(第二回戦)でハンニバル勝利。ローマは植民都市ピアチェンツァから撤退。

・トランジメーノ(第三回戦):ハンニバルは、フラミニア街道を通らず、裏を掻いてアペニン山脈越え、沼地越えを果たして南下。追撃するローマ軍をトランジメーノ湖での待ち伏せでローマに勝利。南イタリアへ向かう。

・紀元前216年:カンネ(第四回戦)でハンニバルが歴史的大勝利。カプアがローマを離反しカルタゴと講和成立。

・紀元前215年:カルタゴマケドニアの同盟成立。シチリアシラクサもクーデターが起こり、ローマとの同盟を破棄し、ハンニバルと同盟を結ぶ。

・紀元前213年:ハンニバルターラントを攻め落とす。ローマは、紀元前211年にかけ、ローマはカルタゴとの会戦を避ける作戦に。

・紀元前211年:ローマがカプアを攻め落とす。残るイタリア内のカルタゴ拠点はターラントのみとなる。

・紀元前209年:スキピオが1日でスペインのカルタゴ拠点カルタヘーナを攻め落とす。

・紀元前208年:スペインのベクラ(第五回戦)でローマ、カルタゴに勝利。

・紀元前207年:メタウロ(第六回戦)でハンニバルの次弟ハシュドゥルバルが戦死。スペインから従えた3万の兵が全滅。

・紀元前206年:スペインのイリパ(第七回戦)でスキピオカルタゴのスペイン勢力に歴史的大勝。以後、カルタゴの本拠地アフリカに戦場を移していく。

・紀元前205年:スキピオシチリア到着。カルタゴの第二都市ウティカに上陸。夜襲でスキピオが大勝。

・紀元前202年:ザマ(第八回戦)でスキピオハンニバルが直接対決。スキピオの大勝に終わる。

 

 この後、ハンニバルは保守派にシリアと内通しているとローマに訴えられ、シリアに亡命。シリア軍としてローマと戦ったのち、クレタ島を経て黒海のビティニアへ亡命し、ローマへ引き渡されることをさとり自死

 スキピオは、反スキピオ派から使途不明金を理由に裁判にかけられ失脚。リテルノの別荘で余生を過ごし、遺言には、「恩知らずのわが祖国よ、おまえにはわが骨を持つことはないであろう」と記し、スキピオ家代々の墓所への埋葬を拒絶したという結末。英雄の引き際の難しさを感じる2人でした。

ローマ人の物語 (2) ハンニバル戦記

ローマ人の物語 (2) ハンニバル戦記

 

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