第9巻「賢帝の世紀」は、トライアヌス帝、ハドリアヌス帝、アントニウス・ピウス帝の3名の生涯が描かれています。いわゆる五賢帝時代のど真ん中の時代を生きた3人。安定していたからさぞかし優雅な皇帝生活かと想像するとそこには、国家を安定させるための施策や努力があり、そこに皇帝の個性が見えるところが本書の魅力。
〇トライアヌス帝(皇帝在位:98~117年)
・心の底から真面目に皇帝を務めたのが、トライアヌスの治世の20年。
・植民都市イタリカに生まれ、辺境地での任務を重ね、ローマ最初の属州出身皇帝となる。
・トライアヌスには邪悪や堕落のひとかけらもみられない。私生活では、すこぶる出費が少ない皇帝であった。数少ない欠点の一つは酒飲み。
・トライアヌスの治世中は皇帝と元老院の関係が良好そのものであった。トライアヌスが実に面倒見の良いリーダーでもあったからである。
・ダキア族との争いの中、統治1年目はライン沿岸で過ごし、その後も、第一次ダキア戦役、第二次ダキア戦役を経て、ダキア王国は滅亡する。ダキア人は捕虜ないし奴隷として故国から引き離し、空っぽになったダキアには、周辺の諸地方から住民を移住させ、ダキア住民の総入れ替えは実現した。
・20年に及ぶ統治の間に3度しか執政官に就任していない。結果として、元老議員達は「名誉あるキャリア」の頂点である執政官に就任できる機会に、より多く恵まれることになり、トライアヌスに対する元老院の好感度が上昇するのも当然だった。
〇ハドリアヌス帝(皇帝在位:117~138年)
・10歳までスペイン南部の田舎の子として育ち、10~14歳までローマで教育を受ける。この時期、「ギリシアっ子」という綽名で呼ばれるほど、ギリシア文明に系統していく。
・第二次ダキア戦役の際、ハドリアヌスが率いる第一ネルヴァ軍団の活躍はめざましく、ラインとドナウ防衛を担当する招聘の間に、ハドリアヌスの名が行き渡る端緒となった。
・トライアヌスは、公正こそが第一と信じている男。
・ユダヤ問題、ブリタニア原住民の反乱、北アフリカマウリタニア属州の反乱、ドナウ北岸サマルティア族への対処、パルティア戦役の終息など各地で問題を抱えた統治のスタート。
・治世の2/3の期間を費やして帝国全域への視察旅行を実行。この人は何であろうと自分の眼で見、それをもとに自分の顔で判断して統治を行った人。つまり、何でも自分で決めないと承知しない、自己中心的な性格であった。
・力量があると認めた者は、いったんは解任してローマに帰し、皇帝推挙で法務官の選挙に当選させ、法務官を経験させた後で再び前線に戻す方法をとった。平時にはやはり、秩序を守るほうが組織は機能する。
・ハドリアヌスの巡行中に成した業績は大別すると、①視察の地がどこであろうと変わりなく、やらねばならない事柄、②その地域独特の問題の解決。
・「一貫していないことでは一貫していた」のではなくて、自らに忠実に振る舞うことでは、ハドリアヌスは「一貫していた」のではないだろうか。
〇アントニウス・ピウス(皇帝在位:138~161年)
・新しいことは何一つしないのが、彼の責務の果たし方。劇的な生活を送らず、醜聞にも無縁であるため、彼の伝記は、『皇帝伝』の中の一項を除けば、今日に至るまで皆無といってよい。
・先帝の業績はほとんどすべて継承しつつも不都合なことだけは微調整したアントニウス・ピウスであったが、微調整に入るのは登位直後の2つだけ。①ハドリアヌスが末期に乱発した元老院議員に対しての告発を皇帝就任に際しての御社という形ににして白紙に戻した、②ハドリアヌスの意に従って養子にしたアンニウスとルキウスの二人の許嫁を入れ替えた。
統治には皇帝の個性が反映されます。安定した時代、そこには安定させる人柄の皇帝が存在し、時間が立てば人々もその統治に慣れていく。外部からの大きな環境変化が無ければ安定して時間が過ぎていく、日本で言えば江戸時代のような感じでしょうか。