「日本男児」という生き方(笹幸恵)
ある本のソムリエで有名な書店主がご紹介された本書。著者は、太平洋戦争をテーマにした記事を書かれているフリーライターで、”戦跡巡礼団の看板娘”と称されている方です。戦時を生き抜いた方々への取材経験を通じて、今の日本の若者を見たときに、日本男児のあり方について感じた疑問が綴られています。モノサシが無いテーマがゆえに、著者の感じていることがストレートに表現されている本書は、自分の生き方を省みるきっかけになりました。周囲や社会の価値感はどんどん変わっていきますが、周りに流されていると見えなくなるものもあり、そんな生き方を見つめ直すヒントを発見できる一冊です。
(印象に残ったところ‥本書より)
〇男の背中
背中は素の自分。背筋がピンとしている人を見ると日々の言動もきっと筋が通ったものだと思う。取り繕った顔(表面上の見栄え)ではなく、緊張感のある背中に惹かれる。
〇タフであること
・軽々しく「疲れた」と口にする男性が増えてきたように思う。弱音を一切吐くなとは言わないが、辛くとも我慢できてこその男。「疲れた」ではなく、「死ぬわけじゃあるるまいし」と自分に声を掛けていただきたい。
・面倒くさい、消極的な感情が先に立ってしまうのではなく、「俺がやらねば」の精神をもって立ち上がってこそ「男」。できるかどうかより、その心意気が「男」を上げる。男性が若いうちから「守り」に入っていたら、得るものなど一つもない。
〇女におもねる男なんて
・好かれたいと思うあまり、女性に媚びるような態度をとる男性。女性に同化することがモテる秘訣だと思い違いをしている方もいる。女性の機嫌をうかがっても、それでは単なる「便利クン」。女性はもっと違うことを男性に期待している。
・嫌われたくないあまり、女性の部下を厳しく指導しなかったり、何でも勘でも言い訳を認めて「もの分かりのいい上司」になったりすれば、一時的には「イイ人」として人気を集めるかもしれない。けれどその「イイ人」の実態は、「都合のイイ人」というわけで、女性にとってはただの「便利クン」にすぎない。
〇デキる男は「聞き上手」
仕事だけではない様々な引き出しを持ち、何より「聞き上手」であること。女性が「また会いたい」と思う男性は、そんな人間としての厚みと礼儀を知る人。要は、目の前にいる人に興味を持ち、いかに話を引き出すか。「聞き上手」とは礼儀であり、コミュニケーションの手段であり、ひいては人間関係を築く最初のステップ。魅力ある男性の絶対条件と言っても良いかもしれない。
〇やせ我慢ができてこそ
女性は生まれもって「女」ですが、男性は男になるプロセスを経ないと「男」にはなれない生き物。そのプロセスとはずばり「やせ我慢」。自ら痛みを背負い、泣き言を言わず、世の中の不条理に耐える。男性は「男」というだけで本当に大変。
〇逃げ道をつくるな
どんなに立派なことを言っていても、人は切羽詰るとつい保身に走る。しかし真の覚悟とは、甘い餌に惑わされず、自らの逃げ道を作らないところから生まれてくる。そのれを成しえる人こそが本当の「男」。
〇転がす女、転がる男
決めつけるつもりは毛頭ないが、どこかで男であることに優越を感じているのではないか。女を一段下の地位に置き、そうであるからこそ「男の自分が立ち上がらねば」と思うのではないか。そして、ときどき「女なんか」「女のくせに」と言った言葉が出てくる。しかしこれは、そもそも出発点が間違っている。上下ではなく、男女は役割が違うだけ。時には守る側と守られる側。またある時は、世話をする側とされる側。見方を変えればそれぞれ役割があって、うまい具合に「お互い様」である。
戦争経験をした方々と現在の若者を照らし合わせたときに感じること。そこに大きな差があると感じることは、世代が変われば環境も社会も変わっていくことを示しています。何が正解というわけではありませんが、自分が社会に合わせて主体的な自分が無いと感じたら少し立ち止まって自分らしさを考えてみることも良いと思いました。
〇半径50mの外へ出よ
女性は「明日の米」が気になる生き物ですが、男性は大きな夢を持って羽ばたくことができる生き物です。小さくまとまろうとせず、どうか半径50mより外の世界へ。男性はそれだけの勇気と覚悟、そして可能性を有していると思う。