『本物のおとな論』(外山滋比古)
本書は、いつまでたっても大人になることが難しい、「ハコ入りこども」が増えていることに問題意識を持った著者が、本物の大人とはなんだろうかという点についてまとめた一冊です。周りと合わせているうちに、「ハコ入りこども」のままであることすら気付かないこともあり得るわけで、あらためて点検するよい機会になりました。
(印象に残ったところ‥本書より)
〇つつしんで歩くのが大人
歩行はその人の人間の生き方、モノの考え方に関わりがある。
〇自分のスタイルを持つのが大人
自分の頭で考え、自分の生活で試行錯誤の末に到達するところに、その人間のスタイルがある。
〇「私」を消すのが大人
第一人称でなくていい。ないほうがいいことが多い。去私のこころ。
〇落ち着いた声で話すのが大人
歌曲と異なり、浮世では低い心が喜ばれる。温かみ、親しみを感じやすい。
〇考えながら喋るのが大人
大人は早口でしゃべらない。余計な声は出さない。静かに笑っている。
〇曖昧な言葉を使うのが大人
ぼかすのも知恵。曖昧は百も承知だが曖昧さこそ相手への優しい気持ち。
〇言葉を包むのが大人
言葉も金・品物と同様に包む。ハダカの言葉、むき出しの言葉は文法的に正しくても良くないことがある。
〇敬語のたしなみを知るのが大人
敬語は、尊敬しているから使うのではない。言葉のたしなみである。
〇言ってはいけないことを知るのが大人
「~ください」は、丁寧な言い方だと思っているのは誤解。「~ください」は命令形である。
〇団体生活が大人をつくる
恵まれ環境は必ずしもプラスに働かず、むしろ弱い人が増えてきた。
〇他人が大人をつくる
いつまでも大人になれないのは、大事に育てられるからである。
〇エスカレーターではなく階段が大人をつくる
今の教育はエスカレーターのように、それに乗ると自分の足で歩かなくても上のほうへ登っていく。
〇正直ではなく、白いウソをつくのが大人
文化はウソ半分。ウソのうまくないのは、幼い分化、幼い人間である。
〇裁くのではなく、他人を応援するのが大人
たわいもない病人は、先生の「応援しています」という言葉にどれほど力づけられ、励まされるかしれない。
〇相手を大切にするのが大人
大人だったら道を譲るのが常識。他人の直前を横切るというのが良くないということは考えなくても分かるのが一人前。
〇味のある顔をしたのが大人
人間、四十になったら自分の顔に責任がある。
〇年相応の苦労をしたのが大人
師弟の間は、近くても、三尺のへだたりが必要である。
〇威張らず、腰が低いのが大人
権威をもっているもの、エリートであると自覚するものはいつまでも幼稚な自己中心的な考えを捨てることができない。
〇広い世間を知るのが大人
専門分野に精通すると、天下を取ったように勘違いするかもしれないが、専門の外側のことはまるでわからない。
〇真似でなく、自分の頭で考えるのが大人
これまで半ば忘れていた「生活」に着目したい。生活は例えて言えば実験のようなもの。失敗がつきものの思考錯誤。
〇矛盾しているのが大人
大人は一日にしてならず。
大人は学校では育たない。
生きる苦労で大人になれる。
その苦労が、きらわれものときている。
大人たること、まことに難しい。
さていかがでしょう。すべてOK!というわけにはいかないかもしれませんが、私の場合、「相手の立場に立ったらどう思うか」「第三者の視点で見たらどう見えるか」「一呼吸おいて考えよう」といったことを心がけるようにしていますが、何か自分なりのシンプルな自問ワードを唱えることによって、いつの間にか大人の行動に結び付けば習慣化しやすいなぁと思いました。