『逆説の生き方』(外山滋比古)
「人間万事塞翁が馬」「禍福は糾える縄の如し」に通じるように、人間の禍福はより合わせる縄のように入れ替わり、不変の禍福はない。マイナス先行が良く、プラス先行ではうまくいかない。幸不幸の常識を180度転換させる人間心理についてまとめられた一冊です。
(印象に残ったところ‥本書より)
〇敏感であることの落とし穴
鈍根は頼もしい。ちょっとくらいのことはまるで感知しない。少しおかしいなどと言われても、人間、少しくらいおかしいのが当たり前と聞き流していれば、病気のつけ込むスキは小さい。人間、敏感であるのは考えもので、つまらぬことにいちいち反応し、いつまでもそれにこだわって悩み苦しむのは賢明だとは言えないだろう。
〇我慢
つらい境遇に耐えている間に、いわゆる幸せな人間が身につけることのできない多くの力を身につけることができる。なかでも目ざましいのが忍耐、我慢で、順調な生活の中では、身につけることが難しい。不幸の与える福音である。人間が成長していくには、多少の苦労、不如意、逆境が必要である。我慢しなければならないものが多ければ多いほど、人間は良い方向に向かって強く進むことができる。
〇「・・ください」
一般に気づかれない言葉の乱れ。「ください」の乱用。「ください」はもともと、くれ、という意味の命令形だから目上の人には使えない。「・・・してくれ」、「・・・しなさい」、「・・・し給え」よりもポライトな言い方ではあるけれども、なお、「・・・くださいますようお願いいたします」、「・・・賜りますようお願いします」などに比べると、ぶっきらぼうで、乱暴であるのははっきりしている。
〇なしのつぶて
”礼儀正しい人”。たかが返事とは言っていられない。ときに人格にかかわる。ところが、多くは返事がいい加減である。いずれ返事するつもりで、放っておくと、案内そのものが紛れてどこかへ行ってしまう。とうとう返事をしないで忘れてしまう、ということになったりする。世の中には、なしのつぶては降るようにある。どれもこれも怠け心、だらしなさ、ひとりよがりによるものであるとは限らない。いずれにしても、なしのつぶては、重い意味を持っていることには変わりがない。
〇思考力をつける毎日の習慣
具体的にどうしたらものが考えられるようになるのか。朝、目を覚ましたら、すぐに起きないで、ぼんやりする。なるべく過ぎ去ったことは頭に入れない。浮世離れしたことが頭に浮かんだら、それを喜び、忘れて困るようなことだったらメモをする。毎朝10分か20分、こういう時間を持てば、誰でも思考家になれる。考える人間になれる。思考は朝に限る。この朝の思考を10年続ければ、その人は人のまねでない考えを持つことができるようになる。考える人間は朝つくられる。