政治家にも大きな影響を与えた陽明学者として有名な著者の人間学シリーズ。本書は、①心を尽くして本来の自己を自覚し(尽心、尽己)、②天から与えられた使命を知り(知命)、③自己の運命を確立する(立命)という「東洋哲学の生粋」について記されています。「命」というのは、絶対性や必然性のこと。自分で自分の「命」を生み運んでいくには、学問修養次第。その真理とは。
(印象に残ったところ‥本書より)
〇幸と福
・幸:苦心努力によらずして、偶然他から与えられたもの
・福:自分の苦心努力から作りだした好事
⇒本当に何が「幸」であり、何が「福」であるかということは、これは知識では分からない。やはり、智慧でなければ、さらに進んで徳慧でなければわからない。
〇人間学とは何か
人間にとっては、「知識の学」より「智慧の学」、「智慧の学」より「徳慧の学」が本質的に大切。そして、「徳慧の学」、すなわち人間学こそ文化の源泉であり、民族興隆の基盤である。
〇人間学の条件
我々は何のために学ぶのか、何のために教学を重んずるか。この2つの条件を除いては、他は枝葉末節。
①自己の自主性・自律性を錬磨すること、自由を確立すること。
②それによって発達する自己を通じて、何らか世のため人のために尽くさんがため。
〇朝こそすべて
人間にとって大事な機のうち、最も大切にしなければならないのは朝。英国の諺「There is only the morning in all things」。1日24時間、朝の後、昼、夜があると考えるのは死んだ考え方。活きた時間というのは朝だけ。言い換えれば本当の朝を持たなければ1日だめ。
〇命
「命」とは、絶対的、必然的な何かの意味。我々の生命というものはなぜ生命というか。生の字になぜ命という字を付けるかと言うと、我々の生きるということは、これは好むと好まざると、欲すると欲せざるとにかかわらない、これは必然であり、絶対的なもの。
〇命名
この名がこの子供に絶対的な意味を持っている、この子はこの名のごとく生きねばならないという必然、あるいは絶対の意味をもって付けて初めて「命名」ということができる。初めて生まれた男の子だから「太郎」としておこうかなどと言うのは「付名」であって「命名」ではない。
〇立命
・だいたいどんな哲学でも究め尽くす、究尽してゆくと、必ずそこに絶対的、必然的なものがある。これを「天命」という。
・哲学は哲学、宗教は宗教、それぞれの立場から天命を追究して、これが天命であるというものをいろいろ立てていく。これが「立命」
我々の「命」をよく「運命」たらしめるか、「宿命」に堕とさしむるかということは、その人の学問修養次第である。これが命を知る「知命」、命を立つる「立命」の大切な所以である。人間は学問修養をしないと、 宿命的存在、つまり動物的、機械的存在になってしまう。よく修養すると、自分で自分の運命を作ってゆくことができる。いわゆる知命、立命することができる。
〇心を尽くし命を知れ
自分というものはどういうものであるか、自分の中にどういう素質があり、能力があり、これを開拓すればどういう自分を作ることができるかというのが、「命を知る」、「命を立つ」ということであり、それが分からなければ君子(指導者、知識人)ではない。
〇運命は自分で作るもの
環境が人を作るということに捉われてしまえば、人間は単なる物、単なる機械になってしまう。人は環境を作るからして、そこに人間の人間たる所以がある、自由がある。即ち主体性、創造性がある。だから人物が偉大であればあるほど、立派な環境を作る。人間ができないと環境に支配される。
〇志
志というものが単なる観念や空想ではなくて、それが物事を成してゆく現実のエネルギーであるときは「志気」という。本当の志気は常に変わらざるもの。いかなる場合にも志を変えないことを「志操」とか「節操」という。「志操」とか「節操」が出来てくると、物に動じなくなる。つまり物の誘惑や脅威に動かされなくなる。
〇感動
人間の進歩というものは、すべてインスピレーションとか感動から始まる。感動するためには、我々の心の中に感受性がなければならない。感受性というものは、自分が充実しなければ出てこない。放心したり自分が自分を忘れていたら、これはある訳がない。
このシリーズは、内容濃すぎの良書揃いです。まとめでは収まりきりません。人間学、生き方、志など、自分のあり方を見つめ直したいと思ったときにお薦めです孔子の時代から現代に繋がっている東洋哲学ってホントすごいと思います。順次このシリーズを読破していきたいと思います。