『志の見つけ方 話し言葉で読める言志四録』(著:佐藤一斎・編訳:長尾剛)
幕末に活躍した人々に多大な影響を与えた『言志四録』の口語バージョン。かなり大胆に現代語訳されており、相当読みやすく工夫されています。言志四録は、『言志録』『言志後録』『言志晩録』『言志耋録』の4冊、全1133条から成っており、本書ではその一部が取り上げられています。日本の志系書物のバイブル的存在です。
(印象に残ったところ‥本書より)
〇上に立つ者の責務とは何か。つねに仕事の「全体的な流れ」を掴んでおくこと。まずは、それだけ。(言志録51)
〇人情も度が過ぎると弊害になる。欲望もまた度が過ぎれば身を滅ぼす。人情も欲望も「深ければ深いほどよい」ということは決してない。程よい加減というものがある。(言志録68)
〇世の禍はすべからく「上より起こる」。下の者が騒ぎ立て社会を乱そうとするならば、それは「上に対する不満、不平」があるから。その不満や不平を生み出したのは、他ならぬ「上の者」である。(言志録102)
〇叱るべき内容はただ一つ。それは相手の志。つまりは、相手の「物事に向かう姿勢」。その真剣さ、真面目さ。それだけを問いただし、その不足を叱る。(言志録184)
〇要するに読書というのは、「読む側」が主体であり主人であって、最後にその書物の価値を決めるのは、読んだ自分自身である。(言志録239)
〇「知識」とは、書物や他者からの教えを通して、我が心に刻み込むもの。「知恵」とは、自分の周囲にある問題を解決する手立てをいろいろと考えだす心の力。学んで知識をためこんでおくだけでは、人は決して発展しない。同様に知識もなしにいきなりアイデアを無理やりに出すようにしても、それは正しく効率的な発展には結びつかない。知識と知恵は車の両輪のようなもの。(言志後録5)
〇何か難しい問題にぶち当たった時は、とにかく「すぐに解決しようと思うな」と自分に言い聞かせる。焦って解決法を見出そうとするのは、所詮はその問題から逃げたい一心のあらわれにすぎない。すぐ解決しようとする焦りは一番の禁物。(言志後録45)
〇いつも書物へ疑問を抱き続け、自分を育ててきた。事実、「書物とのケンカ」を通して、自分の頭が少しずつ磨かれてきたという実感がある。「疑問とは、悟りへ向かう通り道である」。あれこれと疑問を持つことは、物事の真実を見極める眼を養うための第一段階。第二段階は、他者の意見を確実に理解すること。(言志晩録59)
〇どんなに多くの言葉を用いてもなかなか伝えきれないのは、物事の本質。教えられたとしても、本質そのものの本の僅かな部分、理解の入り口の一端程度がせいぜい。結局、物事の本質は、自ら分かろうと努力するしかない。安易に他人から教えてもらえるものではない。(言志晩録73)
〇あなたの心に響いた言葉だとしたら、きっとそれは正しい言葉のはず。正しいことは、実はあなた自身が心の底で既に知っている。人の心とは初めから正しいもの。それにはっきり気づくことが読書の目的。(言志耋録3)
〇学ぶとは、自分の力で自分の心を磨くこと。自分の心は、他人に「磨いてもらう」ものではない。どんなに優れた師の言葉でも、どんなに素晴らしい書物の内容でも、それらを得るだけであとは、自動的に心が磨かれるということはない。それらを用いて自らの力で心を磨かねばならない。(言志耋録17)
言志四録は多くの出版がされていますが、いつか解説版ではなく素読で自分でその意味が噛みしめられるようになりたい。そんな思いになります。「志」というと壮大で他人に真似ができない大きなものを描かないといけないような感覚になりそうですが、本書に書かれていることは、「生き方」に近いもので、日々、どのように考え、どのように行動していくのか、自分自身への向き合い方が問われているのだろうと思います。