『十字軍物語Ⅱ』(塩野七生)(〇)
シリーズ全3巻。第Ⅱ巻は、第2次十字軍遠征。十字軍遠征とは、中世に生きるヨーロッパのキリスト教徒にとっては、「神が望まれたことをする」という、信者にしてみればこの上もなく正当な行為とされます。第1次十字軍でイェルサレムを開放したキリスト教側ですが、イスラムの英雄サラディンにより、イェルサレムがキリスト教側からイスラム教側へと取り戻される、その始終が描かれています。
(印象に残ったところ‥本書より)
■第一次十字軍後
・1131年:ボードワン二世死去。アンジュ―伯フルクがイェルサレム王に即位。
・1143年:フルク死去。13歳の息子ボードワン三世と母メリゼンダが共同王位。
・1144年:イスラムの太守ゼンギがエデッサを制圧。最初の十字軍国家を喪失。
■第二次十字軍
・1146年:シトー派の修道士ベルナール、フランスの小都市ヴェズレーの広場で十字軍結成を勧説。ルイ七世がこれに応える。続いて、神聖ローマ帝国皇帝コンラッド三世の説得に成功。第二次十字軍の派遣が決まる。
・1148年:コンラッドとルイ、イェルサレムに到着。ヌラディンがダマスカスの領主から支援要請を受け、ダマスカスに接近。十字軍はその翌日に撤退を決定。コンラッドは早くもパレスティナを離れ、コンスタンティノープルを経由して帰国。
・1149年:ルイ、シチリアを経由して帰国。
・1154年:ヌラディン、ダマスカスを制圧し、イスラム全域の支配者となる
・1158年:ボードワン三世、ビザンチンの皇女と結婚。アンティオキアの領有をビザンチンに譲渡。
・1162年:ボードワン三世死去。弟のあモーリーがイェルサレム王に即位。
・1169年:ヌラディン配下の将軍シルク、甥のサラディンとともにファティマ朝のエジプトに進行し、制圧。シルクの死を受け、甥のサラディンがエジプトの宰相就任。
・1170年:エジプトのファティマ朝滅亡。サラディン、新たにアユ―ヴ朝設立。
・1174年:アモーリー死去。らい病の息子ボードワン四世がイェルサレム王に即位。ヌラディン死去。サラディンがダマスカスの実質的な領有に成功。
・1185年:ボードワン四世が死去。8歳の甥ボードワン五世が王位に就く。
・1186年:サラディン、イラクの重要都市もスールを支配下におき、イスラム世界の実質的な統合に成功。ボードワン五世死去。ルジャニンがイェルサレムの支配者となる。
・1187年:ルジャニン率いるキリスト教軍、ハッティンの平原でサラディンと激突し、完敗。イェルサレム王のルジャニンはイスラム側の捕虜となる。サラディン、ティベリアスのほか、アッコンを中心とした海港都市を支配下におく。サラディン、イェルサレムを陥落。イェルサレムが88年ぶりにイスラム勢力下に入る。
・1188年:神聖ローマ皇帝フリードリッヒ、軍勢を率いて中近東に向け出発。
・1190年:フリードリッヒ、小アジアに到達するも付近のゴスク川で溺死。
〇人材とは、なぜかある時期に、一方にだけ集中して輩出してくるものであるらしい。だが、この現象もしばらくすると止まり、今度は別の一方の方に集中して輩出してくる。なぜ双方とも同時期に人材は輩出しないのか、という疑問に明快に答えてくれた哲学者も歴史家もいない。人間は人間の限界を知るべきという神々による配慮か、それともこれこそが歴史の不条理なのか・・・(冒頭文より)
〇人間にとっての野心は、何であろうと、やりたいという意欲である。一方、虚栄心とは、他人から良く思われたいという願望だ。人間ならば誰でも、この両方ともを持っている。それで問題は、一人の人間の内部での野心と虚栄心のどちらが大きいか、だが、このことよりも重要な問題は、その人間が好機に恵まれたとき、野心で動くか、それとも虚栄心で動くか、のほうである。
〇ルネサンス時代の政治思想家マキャヴェッリは、成功するリーダーに必要な条件として、次の3つをあげている。①力量、②幸運、③時代が必要としている資質。リーダーにとっての第一条件は、自分がリーダーであることを強く自覚していることにある。
〇人間世界には、悪賢い人間は多くいる。この資質が、その人物が率いる共同体のために使われるか、それとも自分個人のためにしか使われないかの別はあっても、悪賢いとするしかない人は多い。だからこそ人間は、「義に殉ずる人」を前にすると、感動するのである。
(第Ⅲ巻につづく)