『人生の大則』(安岡正篤)
安岡正篤人間学シリーズより。大いなる調和である「大和」。東洋思想においては、あらゆる実在は発現、分化、発展を本領とする陽の原理と、統一調和、全体性、永遠性を本領とする陰の原理との「陰陽相対的原理」によって成立し活動していると考える。ところが現代は分化を本領とする(陽の原理)西欧的思想に偏しており、それと相待つべき大和的思想(陰の原理)はほとんど顧みられない。その結果、人間がいたずらに外面に走り、利己主義的・物質的になり、社会も文化も雑駁になっていく。そんな社会趨勢を背景にまとめられた一冊です。
(印象に残ったところ・・本書より)
◯思想・信念
思想とか信念とか、信仰とかいうようなものは、他から与えられたものではだめで、個人の魂、個人の人格を通じて発してくるものでなければならない。どんな立派な理論・思想・信念であっても、他人のものではだめである。どんな立派な理論や信仰でも、それが自分の中を通じてこなければ、決して生き方にならない。
◯「聖人に棄物なし」(老子)
優れた人には棄てるものがないという言葉がある。本当にものをよく知れば知るほど、決して棄物花井、棄てるものはない。これはそもそも天に棄物、棄てるものがないからである。
◯「人物」の人間内容
①気力
肉体的・精神的な力。潜在的なエネルギーの問題。この気力が養われておらねば事に耐えない。
②志操
その人の生を実現しようとする一般者・絶対者ともいうべき遺伝的創造力の活動であって、それは必ず実現とする何ものかを発想する。これを理想〜志という。耐久性・一貫性を保つことが「操」。
③道義
志が立つに伴って、人間の本具する徳性や、理性・知性は、反省ということを知って、ここに我々の思惟・行為に、何がよろしいか、よろしくないかの判断を生ずる。これを「義」という。実践と離れることのできない性質のものであるから、道義という。
④見識
価値判断力。理想を抱き、現実のいろいろな矛盾・抵抗・物理・心理との体験を経て、活きた学問をしてこなければ見識は養われない。
⑤器量
現実の生活・他人・社会・種々なる経験に対する標準が立ってくる。自分でものを度る(量・衡)ことができるようになる。
⑥信念
人間内容が、人生の体験を積んで磨かれてくるとともに、だんだんその理想・見識というものが、深さ・確かさ・不動性を持ってくる。それを信念という。
⑦仁愛
人が万物と生を同じくするところより共鳴を愛情という。万物とともに生きよう、物と一体になってその生を育もうとする徳を仁という。
⑧風韻
人間そのものがどこか音楽的なものになってくる。これは、風韻・韻致・風格などと称する。つまらぬ人間ほど騒々しい。人格ができてくると、しっかりと落ち着いて、柔らかく、和やかに、声も妙韻を含んで、その全体がなんとなくリズミカルである。
◯大和的生活法
①飲食は適正か
②毎晩、安眠・熟睡できるか
③心身に影響する悪習慣はないか
④適当な運動をしているか
⑤日常、一喜一憂しやすくないか
⑥精神的動揺があっても、仕事は平常通り続けうるか
⑦毎日の仕事に自分を打ち込んでいるか
⑧自分は今の仕事に適しているか
⑨現在の仕事を自分の生涯の仕事と成し得ているか
⑩自分の仕事と生活に退屈していないか
⑪たえず追従すべき明確な問題を持っているか
⑫人に対して誠実であるか
⑬人間をつくるための学問修養に努めているか
⑭エキスパートになるための知識技術を修めているか
⑮信仰・信念・哲学を持っているか
◯教育の本義
・人間の要素を大別すると、①性格、②能力、③行儀(躾・習慣)の3つ。
・性格には感情的要素が重く作用する。明朗・清潔・正直・同情・勇気・義侠・反省・忍耐というような徳性、これが人間の本質。
・能力のうち最も大切なものは知能であるが、徳性に比べると、これは枝葉のようなもの。
・習慣は第二の天性と言われ、人生は習慣の織物と言われている。躾の意義はこの良い習慣を養うこと。
・教育の目的は、第一義的に、基本的に、我々の生活水準を構成する食物・衣服・住宅及び必需品の生産に効果的に貢献できるような知識と技術を青年に得させるにある。
・同時にまたより以上、政治的・思想的偏見から、教師が生徒に一派の社会観や革命思想を鼓吹するようなことは、最も教育の本義を破ること。
・教育の本義は、目先の功利的なものや一部の偏狭・独断的なものであってはならない。いつどんな所においても必ず人から尊重せられ、どんな仕事にも謙虚にかつ敏活に習熟できるような心がけの人物を養成することが教育の本旨。
◯才と徳
・才がないと、我々の世界は発展しない。その実、才に過ぎると、世の中は破綻する。徳に傾けば世の中は平和であり、敦厚であるけれども、これはまた功利的に伸びないということになりやすい。この才と徳という2つの要素は、昔から深く経世的眼光を持った者が、人間を論ずるについて常に意を用いた問題である。
・才と徳という人間の大切な要素、これが完全な調和をもって大きな発達をしておるものは聖人である。
・反対に貧弱のは愚人。
・およそ才が徳に勝った型のものは、これを小人という。
・徳が才に勝った型のものは、これを君子という。
「人生の大則」という大きなタイトルですが、昔も今も変わらない原理原則のようなものであり、先人たちが残し語り、実践され、現代に残ってきた考え方。多くの方が多くの書物を残されていますが、いつか自分がこうありたいという姿に合う考え方を統合して、自分なりの哲学をまとめていきたいなと考えているところです。