『言志四録』(佐藤一斎・岬龍一郎編訳)
西郷隆盛も座右の書とした本書。著者である佐藤一斎(1772年〜1859年)は、幕府の儒官で朱子学、陽明学まで広い見識で、後世のリーダーに影響を与え続けています。本書は、言志四録(言志録、言志後録、言志晩録、言志耋(てつ)録)の抜粋版です。
(印象に残ったところ・・本書より)
◯言志録
・学問をするには、志を立て、これを達成するためには心を奮い立たせることが大事。しかも、その志は人から言われてやるのではなく、自分の本心から出たものでなければならない。(第6条)
・真の大志のある者は、小さな事柄も疎かにしないでよく勤め、真に遠大な志のある者は、些細なことでもゆるがせにしない。(第27条)
・人は地道を守るべきである。地道とは、人を敬い、自分を慎むという敬である。つまりは、天の道理に従って身を修めるということだ。(第94条)
・人間の本性はみな同じように持ち合わせているが、人によって気質がそれぞれが違っている。そこに教育が必要となり、同じ本性だからこそ教育の効果がある。(第99条)
・ものが一つ増えると、やることが一つ増え、やることが一つ増えると、煩わしいことが一つ増える。(第219条)
・読書の方法は、孟子のいう次の3言を師とすべきである。(第239条)
①自分の心をもって、作者の精神を受け止める。
②書物に対しては批判的であって、その一部を信用しても、全部を信用しない
③作者の人柄や業績を知り、また当時の社会的背景を考えながら、読んでいくべき
◯言志後録
・全ての過失は慎みがないことから起こる。よく慎んでいれば過失は自然と減ってくるもの。もし、過ちを犯したならば、速やかに改めるがよい。これも自分を慎むことである。孔子の高弟である顔淵が同じ過ちを犯さなかったのも、また子路が過ちを注意されるのを喜んだのも、いずれも自分を慎む心があったからである。(第17条)
・つまらないことを考えたり、他のことに心を動かされたりするのは、志がしっかり立っていないからだ。志が確立していれば、邪悪な考えなどすべて退散してしまう。これは清らかな水が湧き出ると、外からの水は混入できないのと同じである。(第18条)
◯言志晩録
・今の学者は、学問が狭いから失敗するのではなく、広いために失敗している。また、その学問が偏っているから失敗するのではなく、追求の仕方が浅すぎて失敗するのである。(第62条)
・自分の心を深く掘り下げることは、喩えて言えば縦の努力であり、博く書物を読むのは横の修行である。縦の努力は深く自己を反省して悟ることができるが、横の努力は薄っぺらになりがちで、なかなか自分のものとはならない。(第63条)
・人を見るときは、その人の優れたところを見るべきで、短所を見てはいけない。短所を見れば自分が優れているので、おごりの心が生じ、自分のためにならない。だが、長所を見れば、相手が自分より優れていることがわかり、これに啓発され、励まされるから、自分の利益となる。(第70条)
・大富豪の人は、自分が金持ちであることを知らずにいる。本当に身分の貴い人は、自分が高い身分にいることを知らずにいる。それと同じように、道徳でも功績でも、本当に偉大なるものは、自分ではわからないもののようだ(第226条)
◯言志耋録
・立派な人になろうとする学問は、自分の徳を磨くためにするのであるから、道を体得することを尊ぶべきである。雑多な学問をして、外面を飾り立てるようなことをしてはいけない。ところが、最近の学問をする者は、その精神を忘れ、他人に自慢するための、まるで嫁入り衣装を作るようなことをしている。(第19条)
・自分の欲望を抑えきれないのは、志が固まっていないからだ。志が固まっていれば、欲望は赤々と燃える炉の上に置いた一片の雪のように、すぐに消えてしまう。だから、志を立てるということは、上の道理の解明から下は日常の些事まで、徹底するように工夫すべきだ。
・何事もまず自分が感動して、人を感動させることができる。(第119条)
言志四録は内省本として利用していますが、いろいろな編訳で出版されているので、自分に合う読みやすいものと、自分が大事にしたい言葉を選んでおくというのがいいかなと思っています。
今回の中では、断捨離とも通じるところがある、言志録219条「ものが一つ増えると、やることが一つ増え、やることが一つ増えると、煩わしいことが一つ増える。」が端的でわかりやすいなと思いました。断捨離も進みやすくなりそうです。