MBA男子の勝手に読書ログ

グロービス経営大学院を卒業したMBA生の書評と雑感。経営に関する基本書、実務書のほか、金融、経済、歴史、人間力、マネジメント力、コミュニケーション力、コーチング、カウンセリング、自己啓発本、ビジネススキル、哲学・思想など、幅広い教養を身につけ、人間性を磨く観点で選書しています。

禅と陽明学(上)(安岡正篤)

『禅と陽明学(上)』(安岡正篤

 安岡正篤人間学シリーズ最終作。仏教・儒教を人生にどう生かすか。禅の先駆「ヨーガ」、釈迦が徹見したダルマ(法)、大乗と小乗〜「大学」と「小学」、仏教と老荘思想、禅と老荘儒教の真精神など、読み応えある内容です。

 

(印象に残ったところ・・本書より)

◯禅の先駆「ヨーガ」

・学問というものは始めなく、終わりないものであって、本当の学問はどこかでみな連なっているもの。

・ヨーガは深い瞑想とか、心を修めることから離るべからざる行。座禅というものは、何も禅から始まったものではない。特に取り上げて、これに新たなる魂を入れて普及させたのがいわゆる禅宗

・禅心

 ヨーガにおいて最も大事なところは内観。まず心というのも観じて、心に3つのせいつがあることをつかんだ。

①サッタ:我々の心の中にはなんとなく明るくなる、心が弾んで歓喜を生ずるような軽快な心の動きがある。

②ラジャ:なんとなく心を落ち着かなくして、心を産卵させ、疲労させる働き。

③タマ:心を重苦しくして、なんとなく無気力にして心を暗くするような動き。

→こういう心の働きに基づいて、以下の5つの心を立てている。

・ヨーガの5段階

①散乱心:散らばっているとりとめもない心。

②昏沈心:散乱心の反対のもの。

③不定心:どうも落ち着かない、落ち着いてように見えても何かあるとすぐ動揺する。

④一心:何か一つに取り付き食らいついたら懸命になって、これだというもの。

⑤定心:純粋な統一と安定を保っている心。

 

◯釈迦が徹見したダルマ(法)

・三欲・五濁

①愛欲、②有欲、③名欲

①劫濁、②衆生濁、③命濁、④煩悩濁(食・瞋・痴・慢・疑)、⑤見濁

・見濁五見

①我見、②辺見、③邪見、④見取見、⑤戒禁取見

・ものを見る三大原則

①できるだけ長い目で見る

②できるだけものを多面的に、全面的に見る

③根本的に考えて枝葉末節に走ってはならない

 

◯大乗と小乗〜「大学」と「小学」

・小乗なき大乗などというものは大乗ではない。大乗なき症状などというものは小乗ではない。深く中に入れば一つであるけれども、外に表れるところを見れば、明らかに大乗・小乗というものはコンストラストを成している。

・小乗はどちらかというと形式を重んずる(形式主義的)。

・小乗を解しなければ大乗に生きることはできない。小乗を正しく行えば必ず大乗に通ずる。ところが大小という言葉に迷わされて、小乗はダメで大乗でなければならないということをよく言うが、それは間違いである。

・「小学」は、いかに自ら修め、いかに身を持するかと言う道を主としたもの。「大学」は、いかに人を治め、いかに世を治めるか。

 

◯達磨の正覚

・隋縁行:因果も果報も縁から起こる。そこで人間の大事なことは縁から起こるのだから、円から起こすこと、これが我々の実践実行の大事な問題。

・無所求行:我々の個人的な欲望、感情から生ずるところのいろいろな貪欲、そういうものを捨てて、ひたすら根本に返って報冤、道に随って心理に随って無心になって行じていく。

・称法行:「理」から入るのと「行」から入るのと、どっちから入っても同じ。一に帰する。これが達磨の本当の教え。

 

老荘

・人間は何を欲するかよりも、人間は何を省みるか、反省するか。何になるかよりもむしろ何にならざるか。こういう風に幹に根に帰ってくることで、本当の力、全体的な力、永遠的な力がわいてくるからこっちの方に行こうとするのが、黄老、老荘系統の考え方。

 

◯木雞と木猫〜禅の要諦〜

・最初は虚憍(空元気)にして気を恃む。次は嚮景(よしきたと応じる)に応ず。その次は、疾視して気を盛んにす。そのうちに練れて徳が充実してくると、木彫りの雞みたいになって平然として変わらない。

・浩然の気:自分の内面的な修練を集中しているうちに、自然に生まれてくるところのものである。形を真似て、外に模倣して、形やわざや、そういう外部的なものを取り入れて出てくるものではない。

・終始自分自身の内面的な修練をしないと、真似しているばかりで、形、わざというものばかりを取り入れているだけでは何かしら餒(う)える。書物でもそうで、ただ知識のための研究、技術のための研究、生活のための研究、そういうものでは本当の力にならない。なんとなく、つまり内面的貧弱、精神的飢えを感ずるようになる。

 

◯東洋的人格論

・一番立派な人格というものはどういう人格だろうか。一番立派な人格は「その徳、天の如し」と東洋の書物にはみな書いてある。「その徳、天の如し」ということは、公平無私である。「私」がない。「私」なんていうのは人間が小さい器になる。

・深沈厚重。どこまでも測るべからざる限りなき内容を持っておって、しかも私が無い。つまり公平である。他に対していうならば、公平無私、その人自身についていうならば深沈厚重、これが第一等の人格です。

・西欧では頭がいい、才がある、技能が発達しているというようなこと、従って、どういう資格があるとか、試験に及第したかということを問題にするのだが、東洋ではそうではない。頭とか才とかいうのは後回し。東洋的人間観、価値観からいうと、そういうことは枝葉末節。

 

 難しくもあり、含蓄があって興味深くもあり、とりあえず読み進んだ上巻。宗教的なところ、哲学的なところ。深くあって、自分の考えがまだまだ表面をなぞっているだけだなと内省の機会にもなりました。さらに下巻でどんな気づきが起こるのか、楽しみです。

[新装版]禅と陽明学・上―人間学講話 [新装版]人間学講話

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