『人生で起こることすべて良きこと』(田坂広志)<2回目>(◯)
「逆境」を越える究極の言葉、「人生で起こること、すべて良きこと」。この言葉を心に思い定めるとき、その出来事に取り組む力が湧いてくるようになる。本書は、質疑方式で展開される、逆境を越えるための在り方について、著者が経験をもとに説かれた一冊です。在り方を考えさせられる著書が多く、時々読み返すようにしています。いつ読んでも、その時の状況により新たな内省が始まります。
(印象に残ったところ・・本書より)
◯なぜ我々は逆境に「正対」できないのか
それは、逆境に直面したとき、「なぜこんなことになったのか・・」という過去への後悔や、「これからどうなってしまうのか・・」という未来への不安に、「心のエネルギー」の大半を使ってしまうからです。そのため、目の前の逆境に対して、「この逆境をどう超えていくか」と正対して考えることができなくなってしまう。
◯「人生で起こること、すべて良きこと」などとはとても思えないとき
「人生で起こること、全てに深い意味がある」と、心に思い定める。この言葉を読んだとき、自分の過去の「体験」が心の中に浮かび、心の中を巡り、「そうだ、あの体験はやはり深い意味があったのだ・・」と思えたとしたならば、それはまさに「気づき」を得た瞬間。
◯誰も大声では語らない「人生の真実」とは何か
・「人生において「成功」は約束されていない」。
・しかし、「人生において「成長」は約束されている」。人生において何かの目標を持ち、その達成を目指し、思いを込め、力を尽くして歩むならば、我々は必ず「成長」していける。
◯「逆境」
・「こころの技法」の第一は、「逆境観」を定めること。「逆境観」とは、人生において、苦労や困難、失敗や敗北、挫折や喪失といった「逆境」に直面したとき、その「逆境」をどう受け止めるか、どう捉えるかという心構えのこと。
・「逆境」とは、自分の可能性を引き出してくれる素晴らしい「成長の機会」である。
◯人生の分かれ道で、真に「運命」を分けるものは何か
・何が起こったか。それが我々の人生を分けるのではない。起こったことを、どう「解釈」するか。それが、我々の人生を分ける。
・人生で起こったことを「解釈」する「解釈力」。それが我々の人生の分かれ道で、真に「運命」を分ける。
・この逆境が与えられたのは、大いなる何かが、自分を育てようとしているからだ。その感覚を心に抱き、その最も肯定的な「逆境観」や「解釈力」をつかんだとき、我々の中から、想像力を超えた「強さ」と「生命力」が現れる。
◯なぜ「成功」や「勝利」のとき、我々は学べないのか
・勝ちに、不思議の勝ちあり。負けに、不思議の負けなし。
・様々な要因がバランスよく結びついて成功し、勝利している。だから、成功要因や勝因を分析しようとしても、なかなかうまく分析できない。
・「勝ちに不思議の勝ちあり」と「慢心が目を曇らせる」という二つの理由から、我々は、成功や勝利のとき、なかなか学べない。
◯なせ「自己嫌悪」の深い人間が成長するのか
・「深い自己嫌悪」は、「高い理想イメージ」の現れであり、成長へのエネルギーとなる。
・人は誰もが、自らの内に、自らを癒す素晴らしい力を持っている。
◯「解釈力」の習慣
・その出来事が、なぜ今、ここで自分に起こったのか。
・その出来事が、今自分に何を教えようとしているのか。
・その出来事から、今自分が何を学べと言われているのか。
・その出来事によって、いかなる成長をせよと言われているのか。
その「意味」を考えるということ。
◯なぜ尊大に振る舞う人は、自信がないのか
・人間、自分に本当の自信がないと謙虚になれない。
・自分に本当の自信がないと、我々は謙虚になれず、結果として、自分の間違いや失敗、未熟さや欠点を認め、受け入れ、成長していくことができなくなる。
・自分に自信がないため、それを認めると自分の存在が否定されてしまうという不安と恐怖から、自分を守るために、ことさらに「自分は悪くない」と叫び、「悪いのは、自分を批判する人間だ」と叫ぶ。
◯なぜ我々は「エゴ」を捨てるべきではないのか
・「エゴが小さい」と、現在の未熟な自分、欠点のある自分を擁護し、「自分は、間違っていない」「自分は変わりたくない」という叫びが心を支配する。しかし、「エゴが大きい」と、「自分には、もっと素晴らしい可能性がある」「自分はもっと素晴らしい人間へと成長できる」という思いが勝り、現在の未熟な自分、欠点のある自分を直視しながらも、未来の成長した自分、成熟した自分を目指すことができるようになる。
・だからこうした人は、「エゴ」を捨てるのではなく、むしろ、自分の中の「エゴ」を大きく育てる必要がある。
◯「内省日記」
・生々しい自分の感情や思いをありのままに書くこと。心に湧き上がってくる生々しい感情や思いを、ありのままに、できるだけありのままに、書き出してみること。
・避けるべきは、表面的に飾った「きれいごと」を書くこと。
・我々は、言葉にて語り得るものを語り尽くしたとき、言葉にて語り得ぬものを、知ることがあるだろう(ヴィトゲンシュタイン)
・何か一つのことを言うと、全く逆のことを言いたくなる。
・言葉にならない「感覚」の中から、その出来事の「意味」が浮かび上がってくる。曖昧さの中から、あたかも「意味」が結晶するように、少しずつ、明瞭に見えてくる。
・「内省日記」は、①感情の開示、②感情の浮上、③意味の結晶という3つの心理的プロセスをたどっていく。
◯なぜ他人に対して、「嫌悪感」を感じてしまうのか
・その人が自分に似ている・・。「他者への嫌悪感」の本質は「自己嫌悪」である。我々は自分の中にある「嫌な面」を抑圧して外に出さないようにしていると、その抑圧した「嫌な面」を他人の中に見るとき、その人に対する嫌悪感が増幅されてしまう。
・好きになれない人に対しては、心の中でその人の顔や姿を思い浮かべ、ただ「ありがとうございます」と祈る。それだけで「嫌悪感」は薄らいでいく。
◯人との縁を見つめる
・人生で出会う人、全てに深い縁がある。
・この人と出会ったのも何かの縁。この縁にもかな足らず何かの深い意味がある。自分の成長にとって、必ず深い意味がある。
・人生に起こること、すべてに深い意味がある。人生で出会う人、すべてに深い縁がある。
◯心と言葉は「心身一如」
・心が言葉を発するのではない。発した言葉が心を変える。
・我々の心の中の「エゴ」は「感謝」を知らない。
・まず「言葉」で感謝することによって、いや、感謝してしまうことによって、同じ方向に「心」が動き、「エゴ」の叫びが静まっていく。
◯直観
・直観は過たない。過つのは判断である。
・ある重要な意思決定において、最初になんらかの直観が働く。しかしその後、いろいろな情報を集め、論理的に考えていくと、最初の直観とは異なる判断が生まれてくる。そこでその判断に基づいて進むと、結果として、その意決定を間違ってしまう。その判断が過つ理由は、多くの場合「こうしたら自分に有利だ」とか、「どうすれば自分が得をするのか」といった「私心」が働くから。「小さなエゴ」によって、目が曇ってしまうから。
◯「逆境」に出会って
・人生で起こること、すべてに深い意味がある。
・人生で出会う人、すべてに深い縁がある。
この2つの言葉が、歳を重ねるにつれ、一つの言葉に深まっていく。
「人生で起こること、すべて良きこと」
長くなりましたが、自分が逆境に立たされた時、どういう考えで、どういう行動をとるのか、まさに試される局面。そうした時に、正対し、解釈力によって、歩むべき道を定める。避けていても、いずれまた同じ課題は与えられるもの。むしろ、そうした局面で今後の人生を乗り越えていく力を得る機会を得たということ。そんな長い人生を乗り切る思考が磨かれる一冊でした。