本書は、120ページ弱のボリュームの中に、空海の思想と『即身成仏義』『声字実相義』『吽字義』という3冊の書物のエッセンスが詰め込まれた一冊。冒頭、「弘法大師空海の思想については語るのは、はなはだむつかしい」とあるように、語ることが難しいこの世界をこのボリュームで書こうとした著者の発想がすごいなと思います。読み手としては、コンパクトに120ページに集約されていると思うと、エッセンスだけが拾えて助かります。
(印象に残ったところ・・本書より)
◯密教思想
・真言密教というものは、三国伝来の仏教である。大日如来から金剛薩埵⇨龍猛⇨龍智⇨金剛智⇨不空⇨恵果を経て空海に伝わったもの。
・すべて仏教というものは、由来を尊ぶ。普通は、仏教は釈迦から伝わったものとされるが、どの仏教宗派も、釈迦から、どのような経路を経て、自分のところまで伝わったかという付法の経過を重視する。密教は、その教祖を釈迦ではなく、摩迦毘盧遮那仏におくが、やはり、付法の経路を大切にする。
◯大日経との出会い
・空海が中国へ留学生として渡ったのは、31歳の時。すでに彼はその時、密教思想に深く興味を持ち、密教を学ぶというはっきりした目標を持って、唐に渡った。
・彼が『三教指帰』を書いて、仏教が儒教・道教より優れていることを論証したのは、24歳の時であるが、この本の中には、とりわけ密教のことが言及されているわけではない。」
・彼が密教の根本経典『大日経』を発見したのは、久米仙人の話で有名な大和の久米寺であったが、そこで『大日経』を得て読んでみたが、十分意を尽くさず、入唐して研究せんことを期した。
◯空海の思想形成
・自己の持ってきた密教をはっきり位置付けねばならない。密教がどのような仏教であり、その密教がどういうわけで最高、最善の仏教であるかを証明しなければならない。こういう証明が俗人に対しても、僧に対しても必要である。この証明のために、多くの密教理論書が書かれた。
・理論書には大きく2種類がある
①歴史的に真言密教の由来をはっきりさせる著作
⇨『十住心論』『秘蔵宝鑰』など
②理論的に真言密教の特徴をはっきりさせる著作
⇨『弁顕密二教論』『即身成仏義』『声字実相義』『吽字義』など
・密教は、他の仏教が釈迦仏の教えであるとするのに対し、大毗毘盧遮那仏如来、すなわち大日如来の教えである。大日如来とは、空海によれば、「法身仏である。法身仏とは、釈迦如来のように歴史的実在性を持った仏ではなく、宇宙のはじめから存在している永遠不滅の仏性である」。
・釈迦のといた仏教は衆生を化するためお方便の教えであり、真実のことを言っていない。しかし、大毗毘盧遮那仏の説法は違う。それは、他人を顧慮していない。本当の自らの悟りの境地を言っている。
・この大毗毘盧遮那仏の仏教が、毗盧遮那から7人の祖師を経て、空海のもとに伝わったわけであるが、空海によれば、釈迦仏教の方は、その教えが低いばかりか、その伝統が絶え、その道統は乱れている。今正しい由来をたどることができるのは、毗盧遮那仏の教え、密教のみである。
・法身としての毗盧遮那は説法しないというのが顕教の教え。この毗盧遮那も説法すると説くのが密教。
◯『即身成仏義』
・三密というのは、身密、語密、意密であるが、我々の身体、言葉、心にはそれぞれ深い秘密が隠れていて、普通の仏教ではとても説き尽くせない。この三密を通じて、我々は大日如来と一体になるわけである。
◯『声字実相義』
・声字の声というのは、ただの声ではない。すべて、我々が感覚でもって受け取ることのできる世界の告知はすべて、声なのである。密教は、表現的世界を重視する。この点においても、密教は浄土教や禅とは異なる。
そもそも仏教と密教って何が違うの?くらいから入っていくのがいいのかなと思っています。『密教経典』なる本を買ってみたので、「密教」をそのものを読みにいってみようと思います。これは、相当長い旅になりそうです。