『哲学と宗教全史』(出口治明)(◯)
著者は、日本生命で部長職まで務め、ライフネット生命の社長・会長を経たうえで、立命館アジア太平洋大学学長に就任された方です。超読書家(1万冊以上)でもあり、世界1200以上の都市を訪れ、歴史への造詣が深く、歴史関係の著書も多数。本書は、哲学と宗教という精神世界の歴史を総ざらいした一冊。約450ページというボリュームのわりには読みやすく、学者の方とはまた違う良さがあります。
(印象に残ったところ・・本書より)
・BC1000年(±300年)頃、古代のペルシャ、現代のイラン高原の北東部にザラスシュトラという宗教家が生まれた。ザラスシュトラの英語読みがゾロアスター。
・善悪の神が戦う混乱の時代が終わる1万2千年後の未来、世界の週末にアフラ・マズダ(最高神)が行う最後の審判によって、生者も死者も含めて全人類の善悪が審判・選別され、悪人は地獄に落ち、善人は永遠の生命を授けられ、天国に生きる日が来る。
・だからこそ、現世では三徳(善思、善語、善行)を積む必要がある。
・善悪二元論は、この世を説明するときに、強い説得力を有する。
・外部世界を一所懸命に探求したイオニア派に対して、ソクラテスは人間の内面に思索の糸を下ろした。
・「世界はどうなっているのか、と考えるあなたはあなた自身について何を知っているのか。人間は何を知っているのか」
・ソクラテスは、この質問を人々に投げかけ、対話することで考えを深め、人々に不知を自覚させようと努めた。「不知の自覚」、かつては「無知の知」と呼ばれたが、正確には何も知らないことを自覚するという意味だから、不知の自覚と呼ぶべき。
・「ソクラテス以後」の哲学は、このように人間の内面に向かい、生きることについての問いかけを始めたことに大きな意味があった。外面の世界から内面の世界へと施策を深めていく哲学が、ソクラテスから始まった。そのように考えられている。
◯ストア派が説いた理性の人生
・エピクロスはパトス(激情、情熱、情念)から遠ざかることで精神的な快楽を追求し、そこで生まれる生活を幸福と考えた。
・それに対してストア派は、幸福とは徳を追求した結果として得られる、パトスに動揺しない心(不動心)に至ることだと考えた。その状態をアパテイアと呼んだ。つまり、ストア派は、心の平静はそれだけを追求しても得られず、人生の徳を実践することで結果的に得られるものだと考えた。
・ストア派4つの性状を最大の徳を考えた。知恵、勇気、正義、節制。徳を実践することは悪徳と戦うこと。悪徳とは、無思慮、臆病、不正、放埒。さらに最大の悪徳は、人間が守らなければならない4つの徳が存在することを、無知にして知らないこと。
◯諸子百家
・法家:法を重じて信賞必罰を定め、権力を君主に集中して国を治めることを説く学派。商鞅が実践を始め、韓非が大成。
・名家:名(言葉)と実(実践)の関係を明らかにしようとする論理学派。実際は単なる詭弁術で、ギリシャのソフィストに近い。
・道家:無為自然を説く、老子を祖として荘子が大成。後に神仙思想や陰陽五行説と一体となり道教が生まれる。
・兵家:春秋・戦国時代の兵法を論じた。兵法書『孫子』の著者は、春秋戦国時代の孫武とその一族である戦国時代の孫臏であるとの説が有力。
・陰陽家:陰陽説は、宇宙生成の理論。陰と陽の2大元素が交わることで、5元素(木火土金水)が生まれる。五行の運動は相生と相克。相生は五気が木火土金水の順送りに相手を生み出していくプラスの関係。相克は五気が一つおきに相手を剋していく(負かす、犯す)マイナスの関係。
・性善説とは、きちんと教育すればみんな主体的に努力するようになるという考え。
・性悪説は、社会システムや制度をうまく打ち立てて半ば強制的に教えなければダメだという考え方。
・戦国時代に文書行政が始まって以来、中国では人を、上人、中人、下人と3分類して考えるようになった。孟子は誰を持って性善説としたかといえば、上人を中心とする人たち。自分と同じインテリ、すなわち識字階級。
・荀子は下人を対象として考え、字の読めない人間に自助努力をせよと諭しても、やりようがないのだから半ば拘束して勉強させる仕組みを作れと主張した。
・性善説と性悪説は、社会を構成する別々の階級の教育について言及しているのであって、2つの節の間には矛盾んはない。むしろ2説を並立させたことが儒家の思慮深いところである。
壮大なものをわかりやすくコンパクトにまとめるという技術。これは才能と努力の賜物だなと思います。こういうまとめを自分が探求する分野でやってみたいなとつくづく思います。