実に分かりやすい解説。本書はブッダの生涯を軸に、ブッダの主な思想、出家・降魔成道(悟り)、初転法輪(初の説法)などの主な出来事、経典からの引用でまとめられています。ブッダってどんな人?どんな思想を広めようとした人?っていう疑問に答えてくれる一冊です。
(印象に残ったところ・・本書より)
◯『スッタニパータ』(最古の仏典)より
・【悪魔】
「あなたは痩せていて、顔色も悪い。あなたの死が近づいた。あなたが死なないで生きられる見込みは、千に一つの割合だ。きみよ、生きよ。生きたほうが良い。命があってこそ諸々の善行をなすこともできるのだ。あなたがヴェーダ学生としての清らかな行いをなし、聖火に供物をささげてこそ、多くの功徳を積むことができる。(苦行に)努めはげんだところで、何になろうか。つとめはげむ道は、行きがたく、行いがたく、達しがたい」
⇨【ブッダ】
「怠け者の親族よ、悪しき者よ、汝は(世間の)善業を求める必要は微塵もない。悪魔は善業よりも功徳を求める人々にこそ語るが良い。私には信念があり、努力があり、また智慧がある。このように専心しているわたくしに、汝はどうして生命をたもつことを尋ねるのか?(はげみから起こる)この風は、河水の流れをも涸らすであろう。ひたすら専心しているわが身の血がどうして枯渇しないであろうか。(身体の)血が涸れたならば、胆汁も痰も涸れるであろう。肉が落ちると、心はますます澄んでくる。我が念いと智慧と統一した心とはますます安立するに至る。わたしくしはこのように安住し、最大の苦痛を受けているのであるから、わが心は諸々の欲望にひかれることがない。見よ、心身の清らかなことを」
「汝の第一の軍隊は欲望であり、第二の軍隊は嫌悪であり、第三の軍隊は飢渇であり、第四の軍隊は妄執と言われる。汝の第五の軍隊はものうさ、睡眠であり、第六の軍隊は今日と言われる。汝の第七の軍隊は疑惑であり、汝の第八の軍隊はみせかけと強情と、誤って得られた利得と名声と尊敬と名誉と、また自己をほめたたえて他人を軽蔑することである」
(中略)
「わたしくしは智慧の力で汝の軍勢を打ち破る。焼いてない生の土鉢を石で砕くように。みずから思いを制し、よく念い(注意)を確立し、国から国へと遍歴しよう。教えを聞く人々をひろく導きながら、彼らは、無欲となったわたくしの教えを実行しつつ、怠ることなく、専心している。そこに行けば憂えることのない境地に、かれは赴くであろう」
⇨【悪魔】
(悪魔は言った)「われは7年間も尊師(ブッダ)に一歩一歩ごとにつきまとうていた。しかもよく気をつけている正覚者には、つけこむ隙を見つけることができなかった。烏が脂肪の色をした岩石の周囲をめぐって「ここに柔らかいものが見つかるだろうか?味の良いものがあるだろうか?」といって飛び回ったようなものである。そこに美味が見つからなかったので、烏はそこから飛び去った。岩石に近づいたその烏のように、われらは厭いてゴータマ(ブッダ)を捨て去る」
⇨悲しみにうちしおれた悪魔の脇から、琵琶がバタッと落ちた。ついで、かの夜叉は意気消沈してそこに消え失せた。
◯解説
・悪魔がどう誘惑したのかといえば、第一に「苦行で死んでしまうぞ。苦行をやめよ、健康を守れ」と、第二は「ヴェーダの祭祀を行い、功徳をつめ」と持ちかけています。ブッダ は波羅門の生活を否定して、心身を制し、「つとめはげむ道」を実践していたので、悪魔の誘惑に打ち勝つことができた。
・バラモン教では、世俗的な習慣や祭祀を尊重したのに対し、ブッダ はそれらを否定し、人間の内面的・精神的な面に心を向けたため、やがて仏教は自由な立場から世俗における実践倫理を確立することができた。
・悪魔の誘惑や攻撃は、旧来の社会に根を下ろしたバラモン教の古い道徳やその階層からの攻撃だった。もちろんまた別の面では、人間の内面に潜む悪魔の攻撃であったことは言うまでもない。
悪魔の誘惑を断ち切り悟りを得たという逸話。そこにフォーカスをあてて拾ってみました。何事も意思を持って進めたとしても、迷いが生じるもの。それは大成したのちにも起こりうることであり、ブッダの経典からは悟り後は悪魔の逸話は消えているそうですが、おそらくそこには常に悪魔との対話があり、そこを常に超えていく考え方そのものに悟りの真理があるのではないかと思います。