MBA男子の勝手に読書ログ

グロービス経営大学院を卒業したMBA生の書評と雑感。経営に関する基本書、実務書のほか、金融、経済、歴史、人間力、マネジメント力、コミュニケーション力、コーチング、カウンセリング、自己啓発本、ビジネススキル、哲学・思想など、幅広い教養を身につけ、人間性を磨く観点で選書しています。

『悪魔との対話』(中村元)

『悪魔との対話』(中村元

 高野山大学のレポートのために読んでいた一冊。仏教経典「サンユッタ・ニカーヤ」の後編です。ブッダがさとりを開くべく修行しているときに、心によぎる声(自問自答する相手のようなもの)。

 悪魔とは、仏典の中に登場するもので、ブッダが修行をすることそのものや様々なブッダの行動を引き留め俗世に引き戻そうするネガティブな心の声。一方で、「サンユッタ・ニカーヤ」の前編には『神々との対話』が書かれており、こちらは、どちらかというと前向きな問いであったり、問答の結果前進・加速させるような役割があります。

 

(印象に残ったところ・・本書より)

◯耕作者(第4篇第2章第9節)

・悪魔曰く

「人々が「これは我がものである」と語るところの物、「これは我がものである」と語る人々、そなたの心がそこにとどまるならば、修行者よ、そなたは私から脱れることはできないであろう」

・尊師曰く

「人々が「我がものであると執着して語るところの物、それは、私に属するものではない。執着して語る人々がいるが、私はかれらのうちの一人ではない」

 

◯田を耕す人(第7篇第2章第1節)

バラモン曰く

「あなたは農夫であるとみずから称しておられますが、われらはあなたが耕作するのを見たことがない。耕作者であるというあなたに、お尋ねしますが答えてください。あなたが耕作するということを、われらはどのように了解したらよいのでしょうか?」

・尊師曰く

「わたしにとっては、信仰が種である。苦行が雨である。智慧がわが軛(くびき)と鋤で得ある。慚(はじること)が鋤棒である。心が縛る縄である。気を落ち着けることがわが鋤先と突棒である身をつつしみ、ことばをつつしみ、食物を節して過食しない。わたくしは真実をまもることを草刈りとしている。柔和がわたくしにとって牛の軛(くびき)を離すことである。努力がわが軛をかけた牛であり、安穏の境地に運んでくれる。退くことなく進み、そこに至ったならば、憂えることがない。この耕作はこのようになされ、甘露の果実をもたらす。この耕作を行ったならば、あらゆる苦しみから脱れる」

 

◯スチローマ(第10篇第二節)

・スチローマ曰く

「欲情と憎悪は、何を原因として起こるのですか?不快と快楽と、身の毛のよだつ恐怖とは、何から生ずるのですか?こどもたちが、その足を縛って鳥を放つように、心の思考はどこから起こるのですか?」

・尊師曰く

「欲情と憎悪とは、これを原因として起こる。不快と快楽と、身の毛のよだつ恐怖とは、ここから生ずる。子供たちが、その足を縛って鳥を放つように、心の思考はここから起こるのであるが、それらは愛執から生じ、自己にねざして成立している。ニグローダの多くの根が幹から生ずるようなものである。凡夫は愛欲に執着している。蔓草が林にはびこるように。どこから生ずるかということを明らかに知る人は、その原因を除去する。ヤッカよ、聞きなさい。未だかつて渡ったことのない、渡りがたきこの激流を、かれらは渡り、再び迷いの生存のうちに戻ることがないであろう」

 

 

 この本(経典)を読んで感じたのは、誰でも心の中に「悪魔の声」、前に進もうとする自分を引き止める声があるもので、その声とどういう会話をするかということで、人生の歩みが大きく異なってくるなぁという点です。この声を無視しても、いつか同じ声が聞こえてくるので、それは単なる先送りでしかなく、「悪魔の声」は聞こえた時に向き合おう。どうしても答えが出ない時は、意図的に先送りしよう。まぁ、そんな感じで捉えて、その時々に対処していけば良いのかなと思います。 

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