『仏教入門』(高崎直道)(◯)
高野山大学のテキストです。1983年出版の本で、少し字が小さく、内容も最初ちょっと読みにくいかなと感じたのですが、ある程度他の書籍を読んで本書に戻ってきたら、「上手くまとまっているなぁ」と本書がテキストになっている意味を感じました。内容的には、ブッダ の生涯やその教え、仏教の歴史について要点がまとめられています。
(印象に残ったところ・・本書より)
◯八正道
1)正見
正しい見解、真実の知識、いわゆる般若とされる智慧(四諦のひとつひとつに関する知)
2)正思
正しい思い、意欲(煩悩を離れる・怒らない・傷つけ・害しないという三つの思い)
3)正語
正しいことば(虚言・そしることば・あらあらしいことば・戯言という四つを断つ)
4)正業
正しい業、行いとその積み重ね、その結果と責任(殺生・盗み・邪淫という三つを断つ)
5)正命
正しい生活(法にかなった衣・食・住)
6)正精進
正しい努力、修養、精励(善への四種の努力)
7)正念
正しい気づかい、注意、思慮(身・受・心をよく観察し、熱心で、気をつけさらに気づかい・世間における貪り・憂いを制する)
8)正定
正しい精神統一、集注(四禅)
この八正道の配列は、まず①四諦の教えを理解して、②〜④の心と言葉と行い(身口意の三業)を正しく保って、⑤規則正しい生活を送り、⑥悪を防ぎ、善を生ずべく努力を続けながら、⑦我々の真実の姿を直視、憶念し、⑧心の安定に向けて努めるということである。このうち②〜⑤は総じて正しい生活態度と言ってもよく、それは「戒」という形でさらに具体的に修行者に求められている。それに対し⑥〜⑧は総じて仏教の具体的実践方法(四正勤、四念処、四禅)であるが、ひと頃で言えば「定」である。観法は正しい見方に従うものであるから、そこには一貫して智慧の働きが要求されている。禅定と智慧が並び行われ、釣り合いの取れているのが仏教の理想とするところである。
◯大乗仏教の成立
・教義の煩雑化が仏教の生命を失わせ、信仰を涸れさせる傾向があったのも否定できない。その点に対する信者の側からの反発と出家者内部での反省が、新しい宗教運動をおこすことになった。
・この新しい運動は、釈尊の遺骨を祀る塔すなわちストゥーパを守って、それを中心に集まっていた在家の集団の中から生まれたものと思われる。彼らはひたすらに仏徳を讃仰し、ブッダ への信仰を中心に生きてきたもので、その中からブッダ の神格化も生まれたものと想像されるが、やがて自らの手でその思想を表明する道具として、新しい経典を編纂した。その中で彼らは、その道を万人の救済を目指す広い乗り物という意味で「大乗」と名付け、在来の部派仏教を限られた出家者だけの道という意味で「小乗」と貶称した。
・小乗の教えが「法」中心であるのに対し大乗の教えは「仏」中心であ理、また小乗が「出家中心」の仏教であるのに対し、大乗は「在来中心」の仏教と呼ぶこともできる。
・在来の教えとして大乗仏教は、ブッダ の前生における呼び名「菩薩」とその利他行にその教えの基本を見出し、「菩薩」をもって、仏に代わって世のために尽くす理想的人間像の名としたが、同時に法に関しても、ブッダ の根本にかえり、その真意を明らかにするものであることを主張した。
・その新しい教えは、紀元前一世紀以降、『般若経』『法華経』『華厳経』その他の第状況店の中で次第に発展していったが、教理上の特色としては、「空」思想がその基本にあり、また仏の絶対視(法身)と、仏のはたらきとしての「般若」と「方便」(慈悲行)の強調とをあげることができる。
大乗仏教は、ブッダの教え(原始仏教)とは異なり、その後、ブッダの教えを取りまとめていく仏典結集が重ねられ、その中から新たな主張・見解が生じ番人向けに説かれたものです。原始仏教から変化したものでもあり、「大乗非仏説」、即ち大乗の教えはブッダの教えてとは一致しないとも言われます。日本の仏教はこの大乗仏教の流れをくんでいるのですが、大乗仏教を理解しようと思うと、原始仏教を学びたくなり、大乗とは対立する上座部仏教(小乗は大乗から見た貶称)も理解したくなる。探究心を煽られる奥深く、広い世界ですが、私は、この仏教の世界を宗教ということではなく、哲学、学問として興味を持っていて、現在深掘りしているところです。