MBA男子の勝手に読書ログ

グロービス経営大学院を卒業したMBA生の書評と雑感。経営に関する基本書、実務書のほか、金融、経済、歴史、人間力、マネジメント力、コミュニケーション力、コーチング、カウンセリング、自己啓発本、ビジネススキル、哲学・思想など、幅広い教養を身につけ、人間性を磨く観点で選書しています。

龍樹『根本中頌』を読む(桂紹隆、五島清隆)

『龍樹『根本中頌』を読む』(桂紹隆、五島清隆)

 龍樹(ナーガールジュナ)の主要著書である『根本中頌』を中心に「空の思想」についてまとめられた一冊。空の思想は、原始仏典(ブッダの教え)、大乗仏教(その後普及用にアレンジされた仏教経典。般若経典が最も有名)を踏まえた上で、あらゆるものには実体があるという上座部仏教説一切有部の主張を否定し、すべてが否定されるからこと、実体はない=空という主張がなされています。相手を論破する、否定に否定を重ねるという姿勢は、好き嫌いはあるとは思いますが、空を瞑想による悟りという感覚的なものではなく、論理的にアプローチするとこうなるのかという一つの考え方を知る意味でも興味深い内容です。表現や理解が難しいのが難点ではありますが。。。その中では、わかりやすいと思います。

 

(印象に残ったところ・・本書より)

◯『中論』

①第一章: 原因(縁)の考察

一「もろもろの事物はどこにあっても、いかなるものでも、自体からも、他のものからも、(自他の)二つからも、また無因から生じたもの(無因生)も、あることなし」(一・1)

 

これは、「四句分別」(四不生)と呼ばれるもので

1)「諸法は自より生じる」

2)「諸法は他より生じる」

3)「諸法は自他の両方より生じる」

4)「諸法は無因より生じる」

という論理を否定している。

この場合の「否定」は、純粋否定と呼ばれるもので、否定する理由は四つの命題ごとに示すことはなく、結果として生じてくる諸法に固有の性質(自性/自己同一性)が存在しないから他者性も存在しないと述べ、4つの命題を同時に総括的に否定している。つまり、4つの命題は全て実体がない(=空)ものである。

 

・第二章:運動(去ることと来ること)の考察

一「まず、すでに去ったものは、去らない。また未だ去らないものも去らない。現在去りつつあるものも去らない」

 

 「現在去りつつあるものが去らないということは言えないはずではないか」と反対者が述べるのに対して、ナーガールジュナは答える。

 

三「(現在去りつつあるもの)のうちに、どうして(去るはたらき)がありえようか。(現在去りつつあるもの)のうちに二つの(去るはたらき)はありえない」

四「(去りつつあるもの)に去るはたらきが有ると考える人には、去りつつあるものが去るが故に、去るはたらきなくして、しかも(去りつつあるもの)が有るという誤謬が生じている」

 

つまり、「去りつつあるものが去る」という主張を成立させるためには、(去りつつあるもの)が(去るはたらき)を有しないものでなければならないが、このようなことはありえないと述べている。

 

五「(去りつつあるもの)に(去るはたらき)が有るならば、二種類の去るはたらきが伴うことになる。すなわち(去りつつあるもの)を生じさせている去るはたらきと、(去りつつあるもの)が去るはたらきの二つである。

 

すなわち、「去りつつあるものが去る」というならば、主語の「去りつつあるもの」の中に含まれている「去」と、新たに述語として付加される「去」との二つの(去るはたらき)が付随することとなる。

 

六「二つの去るはたらきが伴うならば、二つの(去る主体)が存在することになる。それは、去る主体を離れて去るはたらきはありえないからである。

 

 以上は、「三句分別」(三時不成)と呼ばれるもので、「現に通過しつつある地点が今歩かれている」という一見当たり前の文を否定することによって、「正しい言葉や概念とその指示対象とその間には、必ず一対一の対応関係がなければならない」というインド実在論の大前提を否定している。

 対論者は、歩行者、歩行行為、歩行地点というものを実態視している。それは、歩行の基体になる何かに歩行という運動が帰属している状態にあるはずである。既に歩行が帰属している歩行者があらためて歩行することは不合理である。歩行者たらしめている歩行に他の別の歩行が帰属することになるからである。つまり、歩行者という実体は成立し得ない。また、歩行行為自体、独立性のないものである。

 歩行行為にせよ、歩行者にせよ、歩行地点にせよ、過去・現在・未来の三時によって分析すると成立し得ない、というのが三時不成の論理である。

 

十八「(1)歩行行為と歩行者とがまったく同じ」というのは不合理である。一方(2)「歩行者が歩行行為とまったく異なる」というのも不合理である」(二・18)

 

 これは、「二句分別」と呼ばれるもので、同一でもなく別異でもないということであり、「八不」の「不一不異」を説明したものである。

 (1)もし「欲望を持たない欲望者」が欲望の生じる以前に存在すると仮定すれば、欲望はその人を縁として生じることになろうが、(そうすると)欲望者が既に存在しているにも関わらず、欲望が(さらに)生じることになるだろう(しかし、そんなことはあり得ない)。(2)一方、欲望者が前もって存在しない場合、一体誰に欲望が生じるのだろうか。欲望が既に存在する場合でも、存在しない場合でも、直前に(欲望を否定したのと)同じ論法が欲望者にも適用(され、否定)される。

 欲望者が先に存在しているとしてもそうでないとしても、また逆に、欲望が先に存在しているにしてもそうでないとしても、両者は自立して存在し得ないことがわかる。これは「無自性・空」ということを示している。

 

◯『六十頌如理論』

(帰敬偈)「縁起をお説きになられた牟尼主(仏陀)に敬礼します。彼は、この道理(=縁起)によって、生起と消滅とを排除なされた」

四八「何によってそれ(存在=法)を十分に理解するのか、と言えば、縁起を見るからである。(何かに)依存して生じたものは不生である」と真実を知るものの最高者(仏陀)は語られた」(48)

 

 『六十頌如理論』では、「空性」を「縁起」のアプローチから説いている。(1)「縁起」が仏説であること、(2)「縁起」によって「有」と「無」に執着する邪見を打破すること、(3)「縁起」の教えの究極的な目的が涅槃にあることがその主張となっている。

 

◯『空七十論』

【反論】(仏陀は)生と滅とをご覧になって、涅槃への道をお説きになったが、(それは君たちが主張する)空性のためではない。

【回答】これら(生と滅)は、相互に対立しているから、また、誤っているから、見られるのである。

 

 回答部分は、不生起を知っている人には、(当てはまら)ないことだが、生と滅とを見る場合、生は滅と対立しており滅も生と対立していると見る人には、生と滅とのこの両者は相互に対立しているゆえに、また、理解も誤っているゆえに、生と滅が見られるのである。これに対し、生に依存して滅が、滅に依存して生がある。つまり、相互に依存した、自立性のないものなのであり、それこそを「空性」というのだとしている。

 

◯『廻諍論』

二二「諸々のものが依存して存在すること、それが空性である。「依存して存在するもの」には自性はないからである。この場合、「諸々のものが生じていること(縁起)」、それが(種々のものの)空性である。(種々のものが)自性を持たないからである。実に「依存して生じているもの」は、自性をもって存在しているのではない。(それらには)自性がないからである」(22)

 

◯『宝行王正論』

A.「生起には原因があるとみて、無を超える。減は原因を伴うものであるとみて、有に近づくことはない」(一・46)

B.「(結果より)先に生じている原因とか、(結果と)同時に生じている(原因)とかは、(原因・結果という言葉の)意味からして、原因たりえない。世間的な言説としても、真実としても、生起したものではないから」(一・47)

C.「これがあるとき、かれがある。例えば、長があるとき短があるように、これが生じるとき、かれが生じる。たとえば、灯火が生じるとき、明るさが生じるように」(一・48)

 

AとBは因果論から、Cは「長があれば短があるが、その短がなければ長はない。自性を欠いているから」としており、長と短は相互依存の関係にあり、それぞれには自立性がないという観点から、空を説いている。

 

◯『因縁心論頌』

「世界はすべて因と果であり、ここにはいかなる有情もいない。空に過ぎないものから空なるものが生じるだけである」(4)

「知ある者たちは、授経、灯火、印、鏡、音声、太陽石、種子、酸によって、縕の続生と無移行とを理解すべきである」(5)

 

第4偈は因果から「空」を説いている。

第5偈は『根本中頌』の次の偈を受けたものとされている。

 

「この五蘊の連続は灯火の炎のようなものである。だから、(世間が)無限であるのも、有限であるのも不合理である」(二七・22)

 

 これは、現世における五蘊(身心)と来世における五蘊との関係が今の灯火と時間的に後の灯火の関係と同じように、断滅でもなく恒常でもなく、同一でもなく別異でもない、したがって、世間は無限でも有限でもなく、空であるということを示している。

 

 

  単なる読み下しに比べて、解説が入ると入らないでは理解にかなりの差が生じます。難しいからこそ、丁寧に解説されている本から入りたいものです。仏教思想について下地がないといきなり空の世界観は難しいかも知れませんね。

龍樹『根本中頌』を読む

龍樹『根本中頌』を読む

 

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