渋沢栄一さんの隠れた名著か!と感じた一冊。1927年に刊行された渋沢栄一談話集『青淵回顧録』に「第一附録」として収められた「青淵論叢」を現代語訳したもの。政治観、経済観、人生論、教育論など31テーマについて述べられたもので、1つ1つの節が数ページと短く区切られて、読みやすい構成になっています。渋沢栄一さんの考え方を知る上で、『論語と算盤』『論語講義』『青淵百話』などと並び、貴重な資料だと思います。本書の最後に収録されている「家訓」も惹かれます。
(印象に残ったところ・・本書より)
◯富者の要務
・私たちの日常では、金が縁を結ぶと言う事態にしばしば出会う。
・金は実に偉力あるものということもできるが、金の本質は、無心。善用されることもあるし、悪用されることもある。つまり、使用者の心次第。金は持つべきものではあるか、持つべからざるものであるかは容易には判断できない。
・「もつ人の心によりて宝とも、他ともなるは黄金なりけり」(昭憲皇太后)
・真に経済がよくわかった人は、よく集めてよく散じるようでなくてはならない。よく散じるとは、正当に支出すること。金を善用すること。
◯立身出世の秘訣
・まずもって実力を養うことが肝要。常に時勢の進歩に遅れないよう実力を養い、修養を怠らず、そうすることで磁力が強大な有用の人物となるよう心がけることが必要。「天は自らを助る者を助く」
◯資本よりも信用
・限りなき資本を活用する資格は何であるかというと、信用に他ならない。一人の資産には限りがあるけれども、世間に信用のある人はその信用が大きければ大きいほど、大きな資本を活用することができる。
・社会の信用はどうして得られるものであるかというと、責任を重んじ誠心誠意をもってことにあたること。
◯忍耐強くなるように修養した体験
・人間は裸で生まれてきたのだから、無私を常の心とすれば決して不足のあろうはずながい。絶えずこの心境にあるように修養に努めた。
・いついかなる場合でも、自分の考えがどうりに照らして正しいかどうかを考えるようにし、時と場合を考慮して自我に固執せぬようにすれば、自然に堪忍強くなるような習性を養い、ついには第二の天性となって、圭角の取れた円満な折角の持ち主となれることだろう。腹の立つような場合でも、これを考えるという余裕を習慣づけることが修養の一つの方法であった。
◯克己心を修養した体験
・いかなる場合に際しても、七情(喜怒哀楽愛悪慾)の発動がすべて道理に敵い、よろしきを得るように常に収容を怠らず、克己してその弊を矯めるようにしなければならない。
◯人物鑑定法
・初見の時の印象によってその人物を鑑識する佐藤一斎先生の人物鑑定法も、人の眼によってその人の善悪正邪を識別する孟子の観察法も、ともにすこぶる簡易な、手っ取り早い方法であって、これによってもたいてい大過なく人物を正当に識別できるが、人を真に知ろうとするには、そのような観察法ではなお至らぬ点がある。
・孔子の人物観察法というのは、視、観、察の3つをもって識別しなければならぬという説。論語の「為政編」の章句中に、「其の以てする所を視、其の由る所を観、其の安んずる所を察すれば人焉(いずく)んぞ廋(かく)さんや」と説かれている。
・「視」は単に外形を肉眼によってみるだけのこと。「観」は外形よりさらに立ち入ってその奥に進み、肉眼のみならず心眼を開いて見ること。すなわち孔子の論語に説かれた人物観察法は、まず第一に、その人物の外部に顕れた行為の善悪正邪を相し、それよりその人の行為は何を動機にしているものであるかをよく観て、さらに一歩進めて、その人の安心はいずれにあるか、その人は何に満足しているかなどを知るようにすれば、必ずその人の真人物が明瞭になるものであって、いかにその人が隠そうとしても、とうてい隠せるものではない。