『幸せになる勇気』(岸見一郎、古賀史健)
前作、『嫌われる勇気』の3年後という設定。青年と哲人との対話形式によりアドラーの考え方を解説していくストーリーは前回どおり。今回は、青年のキレ方・暴言?もエスカレートしており、ついつい青年の発言に意識が集中してしまう・・・。読み物としても面白くなっています。
(印象に残ったところ‥本書より)
〇宗教も哲学も、科学も出発点は同じ。私たちはどこから来て、どこにいるのか、どう生きればいいのか。これらの問いから出発したものが宗教であり、哲学であり、科学。
〇アドラー心理学の行動面の目標
①自立すること
②社会と調和して暮らせること
〇アドラー心理学の行動を支える心理面の目標
①「私には能力がある」という意識
②「人々は私の仲間である」という意識
〇共感
他社に寄り添うときの技術であり態度。技術である限り身につけることができる。
〇カウンセリングで使用する三角柱
現在の自分の位置からは、一面には「悪いあの人」、もう一面には「かわいそうなわたし」という2面が見える。結局この2つしか語っていない。見えないもう一面に書かれているのは、「これからどうするか」。
〇いかなる目的をもって問題行動に出ているのか、5段階で考える
①称賛の要求
褒めてもらうこと、共同体の中で特権的な地位を得ること
②注目喚起
褒められなくてもいいから、とにかく目立ってやろう
③権力争い
誰にも従わず兆発を繰り返し、戦いを挑むその戦いに勝利することによって、自らの力を誇示し王とする。特権的な地位を得ようとする。
④復讐
かけがえのない「わたし」を認めてくれなかった、愛してくれなかった人に愛の復習をする。
⑤無能の鍾銘
最初から出来るはずがないとあきらめたほうが楽。
〇ニーバーの祈り
変えられないものに執着するのではなく、眼前の変えられなるものを直視する。
「神よ願わくば私に変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気とその違いを常に見分ける知恵を授けたまえ」
〇教育者に求められるのは、問題行動を起こす個人に目を向けることではなく、問題行動が起きる共同体に目を向けること。そして個人を治療しようとするのではなく、共同体そのものを治療していくこと。
〇自己信頼あっての他者信頼
「その人を信じる自分」を信じる。自分の判断に自信がなければ、どうしたって担保のようなものを求める。
〇自立とは「自己中心性からの脱却」
〇青年名言集(抜粋)
・「何が人間への尊敬だ!いいですか、私もそして先生も、魂の奥底に漂っているのはおぞましい不道徳の腐臭なのです!」
・「ええい、腹立たしい!邪推の次は、過去など存在しないだと!?右から左に穴だらけの虚言を並べ立てて、それで煙に巻いたつもりか!!望むところだ、穴という穴をほじくり返してやる!!」
・「・・・こ、この忌々しい毒虫め!興奮して声を荒げる私を未熟な人間だと嘲笑っているのですか!」
・「軽々しく同意するんじゃない、この時代遅れのソクラテスめ!いいですか先生。あなたの語る人間はしょせんすべてがダビデ像なんだ!」
・「・・・ふっふっふ。よくもぬけぬけと。そんな侮辱を口にできたものだ。…いま私は、人生で最大の侮辱に出逢いましたよ」
・「軽口を叩くな、このサディストめ!」
・「お黙りなさい!宗教家にでもなったつもりか!!」
『嫌われる勇気』の時には、少し読みにくさを感じましたが、その後、アドラー本を何冊か読んだこともあり、今回は少し入り込めました。しかもちょっとおもしろいストーリー。「アドラー心理学の要点は何?」を説明できるように、このあたりで一度まとめが必要な感じです。第3弾があるのかどうかわかりませんが、続きを待ちたくなる内容でした。
幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII | 岸見 一郎, 古賀 史健 | 本 | Amazon.co.jp