『イスラームからみた「世界史」』(タミム・アンサーリー)(〇)
グローバル・パースペクティブDay5(サウジアラビア)の授業をきっかけにイスラムの世界を学んでみたいと思い買ってみました。著者はアフガニスタン出身でサンフランシスコの在住の作家。600ページオーバーの大作で、メソポタミア文明から2000年代まで、ほど良く掘り下げて描かれています。2009年に発行され、2011年に日本語訳されたもので、翻訳も分かりやすいと思います。
(印象に残ったところ‥本書より)
〇現在の状況に至る段階
①古代~メソポタミアとペルシア
②イスラームの誕生
③カリフの時代~普遍的な統一国家の追求
④分裂~スルタンによる統治の時代
⑤厄災~十字軍とモンゴルの襲来
⑥再生~三大帝国の時代
⑦西方世界の東方世界への浸透
⑧改革運動
⑨世俗的近代主義者の勝利
⑩イスラーム主義者の抵抗
〇ヒジュラ
・570年頃:ムハンマド誕生
・622年:暗殺計画をかいくぐりマッカを抜け出しマディーナへ移住
→ヒジュラと呼ばれる(ヒジュラ元年元日=西暦622年7月16日)
→キリスト教ではキリストの死と復活に重い宗教的意義が帰せられているが、イスラームはムハンマドの誕生日にほとんど関心を持っていない。ムスリムの信仰においては、ムハンマドに初めて啓示が下された夜は、最も神聖な夜として記念されている。ヒジュラがイスラーム史上最高の地位を占めているのは、これによってウンマと称されるイスラーム共同体が誕生したから。
・632年:ムハンマド死去
〇カリフ制の誕生
・後継者は、「正しく導かれた者」を意味する、「正統」カリフ
・4名の後継候補者
①アブー・バクル(初代カリフ)
②ウマル(第二代カリフ)
→サーサーン朝を滅ぼしエジプトを経て北アフリカへ進出
→最も貴重な戦利品はエルサレム(マッカ、マディーナに次ぐ第三の聖地)
③ウスマーン(第三代カリフ)
→帝国の至る所で産業振興策を推進。経営の才を発揮。
④アリー(第四代カリフ。ムハンマドと兄弟同然だったが、初代カリフの協議の場におらず第四代となるが暗殺される。アリーの信奉者は、アブー・バクル、ウマル、ウスマーンを正統カリフとは認めず、シーア派を結成)
〇ウマイヤ朝(661~750年)初代カリフ:ムアーウィヤ
アラビア語を公用語と定め現地語を政権中枢から排除。社会のアラブ化とイスラーム化が進展。
〇アッバース朝(750~1258年)初代カリフ:アブー・アッバース
経済は爆発的に成長。
〇セルジューク朝(1038~1308年)
バグダードを首都とするアッバース帝国の領土を蚕食。先祖伝来のシャーマニズム的な信仰を捨ててイスラームに改宗。セルジューク朝の衰退後は、帝国の西方領土は分断されて地方王朝が乱立。
〇厄災
・十字軍:エルサレムが占領され、十字軍国家が樹立される。
・モンゴル帝国:バグダードが占領され、黄金時代のイスラーム文明の栄華を伝えるものすべてが失われた。
〇オスマン朝(1299~1922年)
長期繁栄したのは、オスマン朝初期の歴代君主が総じて長命で、しかも極めて優秀だった。最盛期はスレイマン一世(1520~66年)
イギリスの攪乱、ロシア・フランスの進出。イギリス・フランスによる占領下におかれる。
〇石油の時代
イブン・サウードと第32代米国大統領ルーズベルトが会合。米国がサウジアラビアの石油を自由に利用する権利を保証。それと引き換えに、サウード家の王族は彼らの立場を危うくする勢力を排除して権力の座にとどまるのに必要なだけ、米国の兵器と軍事技術を入手できるとされた。
〇アラブの英雄ナセル(1918~70、第二代エジプト大統領)
イギリスを追い出すためにソ連に接近し、大量の兵器を入手。米国の態度が急変。ナセルを西側に取り戻そうと、ナイル川中流のアスワンに世界最大のダムを建設しようと持ち掛け。祖国を超大国に売り渡さずにダム建設資金を調達すべく、スエズ運河を占領して国有化を宣言。英仏が激怒したが、中東全体をソ連をに引き渡すことになりかねないと、米国は英仏にスエズ運河をエジプトに返して撤退するように命じた。
上記のまとめは軸となる部分だけ記載しましたが、本書では、さらにインドから北アフリカまで幅広く描かれています。イスラームから見た世界史とは、東ヨーロッパ、中央アジアからの侵略への対抗の歴史。それは、この地域が陸の要所であったからでしょう。日本の視点ではなく、その地域の視点から歴史を順に追って確認してみる大切さを感じました。
- 作者: タミム・アンサーリー,小沢千重子
- 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
- 発売日: 2011/08/29
- メディア: 単行本
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