第五巻「ユリウス・カエサル~ルビコン以後~」は、カエサル壮年後期(紀元前49年(51歳)~紀元前44年(55歳)暗殺)までと、アントニウスとクレオパトラ対オクタヴィアヌス(後の初代皇帝アウグストゥス)の後継者争いが描かれています。カエサル暗殺のシーンは割とあっさりでしたが、ローマ帝国の基礎を築いていくカエサルの後年の活躍が読みごたえがありました。
(第Ⅴ巻のポイント‥本書より)...
〇主な年表
・紀元前49年1月:カエサルがルビコン川を渡りリミニに入る(「賽は投げられた」)。ポインペイウス、ローマから脱出。ローマは大混乱に陥る。
・紀元前49年6月:カエサル、スペイン属州レリダ到着(レリダ攻防戦)
・紀元前48年7月:ファルサルスの会戦(カエサルVSポンペイウス)
・紀元前48年9月:ポンペイウス、アレクサンドリアでローマ兵に殺害される
・紀元前48年10月:アレクサンドリア戦役(カエサルVSプトレマイオス朝)
・紀元前44年3月:カエサル、マルクス・ブルータスらに暗殺される
・紀元前43年12月:「処罰者名簿」筆頭のキケロ殺される
・紀元前40年:「ブリンディシ協定」(オクタヴィアヌス、アントニウス、レピドゥスで分割統治を協定)
・紀元前31年9月:アクティウムの海戦(オクタヴィアヌスVSアントニウス)
・紀元前30年7月:アントニウス軍の部下離反。アントニウス自刃
・紀元前30年8月:オクタヴィアヌス、アレクサンドリア入城。クレオパトラ自刃。プトレマイオス朝滅亡。オクタヴィアヌス、ローマ凱旋。ローマ、帝政時代始まる。
〇印象に残った言葉など
・高度成長期とはしばしば、成長の速度にそれを支えるシステムの整備が追い付かないという状態になる。この状況下では、国家間の公式協定よりも、個人間の人間関係の方が先行しやすい。国家関係の不備を補うのが個人間の関係だからである。
・政治も軍事も、いや人間がかかわるほとんどすべてのことは、1+1は常に2になるとは限らない。3になることも4になることもあるし、反対に0.5で終わることもある。
・人は、全幅の信頼を寄せてではないにしろ、他人に任せなければならないときがある。そのような場合の心構えは、まずはやらせてみる、しかない。
・「人間は、自分が見たいと思う現実しか見ない」(カエサル『内乱期』より)
・兵士の戦闘意欲が爆発したときは、それでは作戦どおりでないとして制止に回るよりも、自然爆発した戦意に乗ってしまったほうがよい
・いかなるシステムにも生命はある。理由の第一は、いかなるシステムも避けることができない動脈硬化現象。第二は、勝者になったがゆえの、直面する問題の質の変化。
・人間にとっては、ゼロから起ち上がる場合よりも、それまでは見事に機能していたシステムを変える必要に迫られた場合のほうが、よほどの難事業になる。後者の場合は、何よりもまず自己改革を迫れるからである。自己改革ほど、とくに自らの能力に自信を持つのに慣れてきた人々の自己改革ほど、難しいことはない。これを怠ると、新時代に適応した新しいシステムの樹立は不可能になる。
・孤独は、創造を業とする者には、神が創造の才能を与えた代償とでも考えたのかと思うほどに、一生ついて回る宿命である。それを嘆いていたのでは、創造という作業は遂行できない。本当をいうと、嘆いてなどいる時間的精神的余裕もないのである。
・失業とは、その人から生活の手段を奪うに留まらず、自尊心を保持する手段までも奪うことである。普通の人間は何であれ働くことによって、自らの存在理由を感得していく。それゆえに失業問題は福祉では解決できず、食を与えることのみが解決の道となる。この対策を怠ると、都市には人が必要以上に流れ込むことになり、福祉政策の徹底、不徹底に関係なく、社会不安の温床と化す。
・人間ならば誰にでも、すべてが見えるわけではない。多くの人は、自分が見たいと欲することしか見ていない。