第2巻は、丸ごと1冊ポエニ戦争。名将ハンニバルVS名将スキピオを描いた「ハンニバル戦記」です。2人は12歳の年齢差があり、まず向かうところ敵なしのハンニバルの活躍。そして、後半はハンニバルのイタリア南部での孤立と、若き英雄スキピオの活躍。晩年は2人とも恵まれず、最後は同年に亡くなるという運命めいた結末。精読2回目は順を追って頭が整理でき、面白さも、読むスピードも増してきています。
(印象に残ったところ‥本書より)
〇第一次ポエニ戦役(紀元前264~241年)
・紀元前264年:シチリアのメッシーナがカルタゴが支援するシラクサに攻められ、ローマに支援を求める(メッシーナ同盟協定締結)。シチリアのカルタゴ拠点アグリジェントをローマが攻略。
・ミラッツオの海戦:ローマ勝利。カルタゴは海軍の1/3を失う。
・マルサラ沖海戦:ローマ勝利。
・紀元前255年:アフリカ上陸。カルタゴに敗れ、執政官レグルスが捕虜に。
・紀元前253年:シチリアのカルタゴ拠点パレルモ陥落。海難事故で150隻を失う。
・紀元前241年:マレッティモの海戦でローマ勝利。講和。カルタゴはシチリアの領有権を失う。
〇第二次ポエニ戦争(期限前218~201年)
・紀元前218年:ハンニバルがカルタヘーナを出発し、アルプス越え。
・ティチーノ(第一回戦)の騎兵戦でハンニバル勝利。
・ローマの兵糧貯蔵地カステッジョを落とした後、トレッビア(第二回戦)でハンニバル勝利。ローマは植民都市ピアチェンツァから撤退。
・トランジメーノ(第三回戦):ハンニバルは、フラミニア街道を通らず、裏を掻いてアペニン山脈越え、沼地越えを果たして南下。追撃するローマ軍をトランジメーノ湖での待ち伏せでローマに勝利。南イタリアへ向かう。
・紀元前216年:カンネ(第四回戦)でハンニバルが歴史的大勝利。カプアがローマを離反しカルタゴと講和成立。
・紀元前215年:カルタゴとマケドニアの同盟成立。シチリアのシラクサもクーデターが起こり、ローマとの同盟を破棄し、ハンニバルと同盟を結ぶ。
・紀元前213年:ハンニバルがターラントを攻め落とす。ローマは、紀元前211年にかけ、ローマはカルタゴとの会戦を避ける作戦に。
・紀元前211年:ローマがカプアを攻め落とす。残るイタリア内のカルタゴ拠点はターラントのみとなる。
・紀元前209年:スキピオが1日でスペインのカルタゴ拠点カルタヘーナを攻め落とす。
・紀元前208年:スペインのベクラ(第五回戦)でローマ、カルタゴに勝利。
・紀元前207年:メタウロ(第六回戦)でハンニバルの次弟ハシュドゥルバルが戦死。スペインから従えた3万の兵が全滅。
・紀元前206年:スペインのイリパ(第七回戦)でスキピオがカルタゴのスペイン勢力に歴史的大勝。以後、カルタゴの本拠地アフリカに戦場を移していく。
・紀元前205年:スキピオがシチリア到着。カルタゴの第二都市ウティカに上陸。夜襲でスキピオが大勝。
・紀元前202年:ザマ(第八回戦)でスキピオとハンニバルが直接対決。スキピオの大勝に終わる。
この後、ハンニバルは保守派にシリアと内通しているとローマに訴えられ、シリアに亡命。シリア軍としてローマと戦ったのち、クレタ島を経て黒海のビティニアへ亡命し、ローマへ引き渡されることをさとり自死。
スキピオは、反スキピオ派から使途不明金を理由に裁判にかけられ失脚。リテルノの別荘で余生を過ごし、遺言には、「恩知らずのわが祖国よ、おまえにはわが骨を持つことはないであろう」と記し、スキピオ家代々の墓所への埋葬を拒絶したという結末。英雄の引き際の難しさを感じる2人でした。