『103歳になってわかったこと』(篠田桃紅)(〇)
多忙生活が続き、なんだか最近、心に余裕がない・・と思っていたところに、この本を見つけて、惹かれるように、即買いしました。
著者は、墨を用いた抽象表現主義者として世界でも著名な現役美術家。
「103歳にもなった方は、一体何を感じてどんなことを考えているのだろう」。そんな素朴な疑問を持ちながら読んでみると、たくさんの気づきが得られる良書でした。
(印象に残ったところ‥本書より)
〇死生観
人の領域ではないことに、思いをめぐらせても真理に近くづことはできない。それなら、一切を考えず、毎日自然体で生きるように心掛けるだけ。
〇100歳は治外法権
この歳になると誰とも対立することはないし、誰も私とは対立したくない。歳を取って初めて得られるものはあるのか。この先、得られるものは何なのか。ずっとそのことを考えている。
〇「僕の前に道はない。僕の後ろに道はできる」(高村幸太郎)
100歳を過ぎてどのように歳を取ったらいいのか、私にも初めてで、経験がないから戸惑う。100歳を過ぎると前例は少なく、お手本もない。全部自分で創造して生きていかなければなりません。歳をとるということはクリエイトするということ。作品をつくるよりずっと大変。
〇目線
歳を取ると自分というものの限界を知る。しかし、歳を取るにつれ、自分の見る目の高さが年々上がってくる。できなくて悲しいというよりも諦めることを知る。ここまで生きて、これだけのことをした。まぁ、いいと思いましょうと、自らに区切りをつけなくてはならないことを次第に悟る。
〇無
100歳を過ぎると人は次第に「無」に近づいていると感じる。作品も無意識のうちに出来上がっていた。しかも、これまで見たこともない全く新しい境地の作品が。「どうしたら死は怖くなくなるのか」と尋ねられた。「考えることをやめれば怖くない」。人は老いて、日常が「無」の境地にも至り、やがて、本当の「無」を迎える。それが死である。そう感じるようになった。
〇感覚を磨く
感覚は自分で磨けば磨くほど、そのものの真価を深く理解できるようになる。感覚を磨いている人は、日常生活においても有利に働く。間違いが少なくなる。知識や経験に加えて、感覚的にも判断することができるので、身のまわりの危険、トラブルなどを察知し、上手に避けることができる。世の中の風潮は、頭で学習することが主体で、自分の感覚を磨くということはなおざりにされているのが大変惜しい。
〇謙虚さ
次から次へと、身内、友人を失くし続けて運命というものの前に、人はいかに弱いものかということを若くして知った。弱いというよりも無力で、なんの力もない。どんなに愛する人でも、さっと奪ってしまう。運命には抗えない。身の程をわきまえ、自然に対して謙虚でなくてはならないと思った。人が傲慢になれる所以はないと思っている。
自分より60歳も年上の著者。103歳の方が語ると、一言一言がとても深く重く感じられます。歳を重ねるがゆえに、限界も見えてくるけれども、未知の世界もたくさんあると感じる視界。「歳をとることはクリエイトすること」という言葉には、深い意味と元気をもらえた気がします。少し心にゆとりが持てたかな。また、明日から頑張れます。