第十四巻「キリスト教の勝利」は、337~397年までの期間を、コンスタンティウス帝、ユリアヌス帝、司教アンブロシウスの3名を中心にまとめられています。
313年に公布された「ミラノ勅令」。蛮族侵入への対処が国家的課題となり、帝国統治の手段として、他の諸々の宗教同様にキリスト教を公認。以後、実質的にキリスト教優遇への道をひた走ることとなったローマ。ユリアヌス帝時代に一時キリスト教優遇を排したが、392年テオドシウス帝時代についに国教になる。政治と宗教の関係にフォーカスがあたる時代です。
(第十四巻のポイント‥本書より)...
〇主な年表
・337年:コンスタンティヌス病死。コンスタンティヌス2世、コンスタンティウス、コンスタンスがそれぞれ「アウグストゥス」に就任。
・346年:コンスタンティウス、キリスト教への免税範囲を教会関係者にまで広げる。
・361年:コンスタンティウス死去。後継者にユリアヌス指名。
・363年:ユリアヌス死去。皇帝護衛隊長ヨヴィアヌス、皇帝に選ばれる。
・364年:ヨヴィアヌス死去。ゲルマン民族出身の将軍ヴァレンティニアヌス、皇帝に選ばれる。
・375年:ヴァレンティニアヌス死去。帝国東方はヴァレンスが、西方はグラティアヌスがそれぞれ統治。
・378年:西方正帝グラティアヌス、テオドシウスを招聘し東方正帝に任命。
・380年:グラティアヌスとテオドシウス、キリスト教以外の異教排撃に本格的に乗り出す。
・383年:テオドシウス、この年から実質的に帝国全土を統治する。
・393年:オリンピアの競技会廃止。
・395年:テオドシウス病死。長男アルカディウスは東方を、次男ホノリウスは製法を統治することに決まる。以後、東西分裂が決定的となる。
・397年:アンブロシウス死去。