全26巻。3度目の挑戦.。
今回は、リーダーとしての徳川家康を意識して読んでいます。.
(第23巻の見どころ‥小説なので詳細は割愛します)
大久保長安が残した連判状。大坂との対決を避けるためにも大坂城開城が絶対条件となり、和平交渉が始まるが、浪人は次々と大坂城に集結し始め、いよいよ大阪冬の陣が始まる。1614年初め~10月頃までを描く。
(備忘‥年表のみ。年齢は数え年)
・1614年3月(73歳):幕府、越後福島城主松平忠輝を高田に移すため、居城として高田城築城を命じる。
・1614年8月(73歳):家康、駿府に来た片桐且元のもとに、本田正純・金地院崇伝を派遣して方広寺の鍾銘・棟札について論じさせ、大坂方が多くの浪人を召し抱えることを詰問する。
・1614年8月(73歳):片桐且元・大蔵卿の局、大坂に帰って秀頼に家康の意を伝える。且元、ついで3つの策を述べて徳川氏との和を保つことを勧める。秀頼及び生母淀君、これを不快とする。
・1614年10月(73歳):片桐且元、弟貞隆らと一族をあげて大坂城を退去し、居城摂津茨木城に入る。
・1614年10月(73歳):秀頼、大坂城を修理し、浪人を集め籠城の準備をする。
・1614年10月(73歳):家康、藤堂高虎を先鋒とし、大和より大坂に進めさせる。
・1614年10月(73歳):紀伊九度山の真田幸村、大坂城に入る。
・1614年10月(73歳):家康、常陸水戸城主徳川頼房に駿府城を留守させ、みずから諸軍を率いて、駿府を出発する。
・1614年10月(73歳):家康、藤堂高虎・片桐且元に、大坂城包囲の先鋒を命じる。
関ヶ原の戦いに比べて、短期間で戦闘準備が整う。秀頼を大坂城から出し大和へ移封することが叶わないとみるや、8~10月で一気に駿府から京都へ。大坂側も浪人が続々と入城し、一気に闘いモードへ。関ケ原から14年。月日は経っても、戦国を生きてきた人々の気持ちが元に戻るのは早い。