MBA男子の勝手に読書ログ

グロービス経営大学院を卒業したMBA生の書評と雑感。経営に関する基本書、実務書のほか、金融、経済、歴史、人間力、マネジメント力、コミュニケーション力、コーチング、カウンセリング、自己啓発本、ビジネススキル、哲学・思想など、幅広い教養を身につけ、人間性を磨く観点で選書しています。

徳川家康(笠谷和比古)

徳川家康』(笠谷和比古)(◯)

 著者は、国際日本文化研究センター名誉教授。徳川家康の生涯を詳細に分析した1冊です。先日の読書会のテーマが「徳川家康」だったので、一度、しっかりとした歴史書を読んでみようと思って手に取りました。大型書店でいろいろ見比べた結果、一番まとまっていてわかりやすそうなのが本書でした。小説とはまた違った、しっかり史実を把握していく楽しみがある一冊でした。

 

(印象に残ったところ・・本書より)

◯幼少期

・竹千代2歳の時、水野信元(母の兄)は、今川から離反して尾張国の織田方についた。竹千代は幼くして母と生き別れの身となった。

・6歳の時、松平家の宗主である今川の下に人質として送られることになる。竹千代は今川家のいる駿府へ送られることになったが、護送の途中に立ち寄った田原城の城主戸田康光の裏切りにあって、竹千代は奪われて尾張織田信秀の下へ送られてしまった。その後、今川方の手によって捕虜とされた織田信秀の子、織田信広との人質交換によって織田方からは取り戻された。

・禅学と軍事の両道に通暁していた大原雪斎の薫陶を受けたことは、竹千代にとってはこの上ない幸であった。

 

◯青年期

桶狭間今川義元が討たれ、「捨て城ならば拾わん」と言って、期せずして岡崎城主として復帰することを得た。元康は今川への義理から、この混乱に乗じて岡崎城を強制奪取しようとするような態度は取らなかった。この辺りにも後々まで言われる家康の律儀な性格が見て取れるようである。

 

◯織田・徳川同盟

・1562年、家康は尾張清洲城に赴き、信長と会堂して盟約を結んだ。これより信長が本能寺の変で倒れるまでの20年間に渡って、終生変わることのなかった両者の固く長い同盟が結成されることになった。

・家康の晩年には今川氏真の二人の子を秀忠の下に出仕させ、のちに高家・今川家としての形を整えていく。氏真自身には500石の知行地を給付し、品川に屋敷地を与え生涯その生活の面倒を見ている。港町としての賑わいを見せていた品川のちをわざわざ用意したという家康一流の気配りというのが実のところであろう。

織田信雄の場合であるが、家康は彼をも庇護して御伽衆という形で生計の立つようにしている。これらは昔のよしみを忘れない、家康の律儀で誠実な人柄を表すエピソードではないであろうか。

・日頃は温厚篤実な性格をもって知られるけれども、こと弓矢の道の話となると一歩も引かない頑固さを露わにする。

 

◯神君三大危機
三河国一向一揆

②三方ヶ原の敗走

本能寺の変の直後に敢行した伊賀越えの逃避行

・三方ヶ原の敗走で、家康が完膚なきまで叩きのめされて窮地にあった自己の姿を後々の戒めとして書き留めようとしたという心性には驚きを禁じ得ない。常人の到底思い及ばぬことであり、家康の器の大きさを感得せしめるエピソードではある。

 

◯おもてなし

・武田家滅亡後の信長周遊時の家康のおもてなし。家康自身が亭主としてもてなす駿河の地での招宴はいうまでもなく、東海道の諸所に趣向を凝らした茶亭や接待所を設けて、行く先々で信長を楽しませた。家康は、この饗応に万全を期するために、莫大な財力を傾けるとともに、信長の側近である長谷川秀一の助言を受けつつ、信長の好みや嗜好品の細々にわたるまで徹底的に調べ上げていた。気配りの家康の本領が発揮されたひとコマであった。

 

◯豊臣体制への帰順

・「我一人腹を切って、万民を助くべし。我が上洛せずんば手切れあるべし、然れども100万騎にて寄くる共〜」(三河物語より)

⇨自分一人が犠牲になることによって万民を助けることができるだろう。自分が上洛を拒否するならば戦争となるだろう。自分一人の決断でもって、大戦争を引き起こし、民百姓やサムライたちを山野の戦場に投入して殺すならば、その亡霊たちがどのように思うかと考えると恐ろしい。自分一人が犠牲となるならば、多くの人の命を助けおくことができるだろう。その方たちも、紛争ごとが発生したとき、何らかの言いつのるのではなく、宥免を求めることによって人々の命を助けるようにせよ。

 

大坂冬の陣で二条城に滞在中のこと

・天海が後陽成上皇の院使の資格で『類聚三代格』『年代略』『類聚国史』『古語拾遺』『名法要集』『神皇帝図』を二条城に持参し、それらを羅山が家康の御前において読んだという。これから大阪城を相手に大戦争を行おうという時に、古典の調査とは!これは、この後に見られる奈良、法隆寺文化財参観とも併せて、家康の好学の精神、文化財尊重の姿勢を示すものであり、それが30万人規模の兵士を動員して展開される大戦争のさなかに行われているところに、よ人を寄せ付けない家康の卓越した資質が現されている。

 

 徳川幕府の礎を築いた家康。信長の華やかさ、秀吉の天真爛漫な振る舞いの陰に隠れて、安定・安心。俯瞰した広い視点を持って全体を把握する力。小説にすると実はそんなに晴れやかでなく、面白くないのかもしれませんが、一国の主として迎えるならば、家康でしょうって思います。人の一生を追いかける歴史書は、学ぶことが多く、自分の人生を考える上でも役立つことがたくさんあります。決して真似をしたりするわけではなく、生き様を学ぶことに自分の生き様を考えるヒントがあります。だから、歴史書はおもしろんですよね。中学生の時から、歴史が好きになり、人の生涯を読み重ねてきたことの大切さをいまひしひしと感じています。

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