MBA男子の勝手に読書ログ

グロービス経営大学院を卒業したMBA生の書評と雑感。経営に関する基本書、実務書のほか、金融、経済、歴史、人間力、マネジメント力、コミュニケーション力、コーチング、カウンセリング、自己啓発本、ビジネススキル、哲学・思想など、幅広い教養を身につけ、人間性を磨く観点で選書しています。

「失われた20年」を超えて(福田慎一)

『「失われた20年」を超えて』(福田慎一)

 本書は、「世界の中の日本経済」という全10巻シリーズの1冊目。バブル経済の発生~リーマンショックまでの約20年の日本経済についてまとめられています。バブル崩壊後の不良債権問題の処理の遅れが2000年代の生産性の伸びやデフレ現象に繋がったという連続性に注目することが、日本の長期低迷の真因を探るうえでカギになる。そんな問題意識をもって書かれた一冊です。

 

(印象の残ったところ‥本書より)

バブル経済の発生

・金融の自由化は70~80年代にかけて緩やかに進行。自由化以前の日本の金融市場では、健全な大企業と言えども社債など銀行借入以外の資金調達手段は厳しく制限されていた。

・自由化が進むにつれ健全な大企業ほど銀行借入を減らし、社債、CP、株式などの資金調達が急増。

・大企業の資金調達が多様化した結果、多くの銀行は新たな貸出先を発掘しなければならず、折からの地価上昇も相まって大きく伸びたのが不動産向け融資。土地担保主義の中、不動産業向け貸し出しはリスクが小さいと判断された。当時の地価水準が投機によるものではなく、実需を反映したものであるという見方が一般的なものであった。

 

〇遅れた金融引き締め

・87年2月:ルーブル合意(ドル安に歯止めをかける政策協調)

→日銀には金融緩和を継続することが求められていた。

・87年10月:ブラックマンデー(世界同時株安懸念で金融引き締めが遅れる)

 

バブル崩壊不良債権処理

護送船団方式と呼ばれた金融行政が不良債権の抜本的な処理を遅らせた

・日本の不良債権問題は不良債権の大きさの問題というよりも、迅速に処理できないシステムの機能不全の問題であった

・90年代前半でも土地神話が根強く、やがて反転するという期待が高かった。金融機関でも不良債権の増加を一時的な問題と判断し、処理が先送りされた。

住専問題(住宅ローン専門のノンバンク、住宅金融専門会社の不良処理債権処理)

 6.4兆円の損失の穴埋めについては基本的に母体行と一般行、および農林系金融機関がそれぞれ債権放棄により分担。農林系金融機関の負担能力を超える分について公的資金(約7000億円)を投入。

 

〇金融機関のモラル・ハザード

・会計上の裁量が存在した当時、銀行のディスクロージャーは遅れ、バランスシートの劣化や自己資本比率の低下に関する真の姿は開示されたデータからは読み取ることが難しかった。自己資本規制を緩やかに運用することで、自己資本不足に陥った金融機関であっても営業を続けることを事実上容認していた。

 

貸し渋り貸しはがしの背景

・銀行規制(BIS規制)では、自己資本比率は、貸出額が多いほど低下する一方、国債など安全資産の保有額が多いほど増加する性質が顕著であった。従って、貸出額を減少させて国債保有額を増加させるなどの資産構成の組み換えによって、規制をクリアすることが可能であった。

 

〇2000年代の日本経済

・問題企業の復活はリストラなどのコストカットによるところが大きく、節約姿勢の経営姿勢のもとで、競争力強化につながる技術革新は限られていた。コストカットを短期間で行おうとした場合、すぐには成果が出にくい研究開発部門などにコスト削減が偏る傾向があり、それが価格競争力の低下に繋がっていたと考えられる。価格競争力が低下すれば、賃金の引き下げなどを伴ったさらなるコストカットを価格引き下げ競争が不可避となり、結果2000年代の日本は価格引き下げ競争がデフレの新たな原因となり、もうひとつの「失われた10年」を生み出した。

 

 金融も企業もバブル崩壊後の対応に終始した90年代、IT化が進み中国などの海外勢との競争が本格化する中でコストダウンを中心に業績を回復した2000年代。失われた20年は一つの流れに繋がって現在に至っています。ここからさらに10年を考えたとき、どの軸に舵を切るのか。ちょうど変化の変わり目あたりにいるのかもしれません。この先を考えるベースになる20年の振り返りになりました。

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