『ビジネスZEN入門』(松山大耕)
グロービス経営大学院のあすか会議で講演を拝聴したことがある著者は、妙心寺退蔵院副住職を務められる一方、ダボス会議(世界経済フォーラム)にも出席されるなど、ビジネス界でも活躍されています。ビジネス界でも流行している禅の世界を、「宗教×ビジネス」の観点から開設された示唆に富んだ一冊です。
(印象に残ったところ‥本書より)
〇ビジネス界で仏教が注目される理由
世界中が閉塞感に満ち、物質的にはある意味不自由が無くても、そのうえでどうしたら良いか分かりづらく、精神性を求める人たちが増えている。京都の観光客を見ても、seeing(見て楽しむ)⇒doing(体験して楽しむ)⇒being(旅を通じて自分を知る)と変化している。
〇仏教は、gainではなくloose
・仏教を信じたからといってすぐに何かが得られる訳ではない。仏教、特に禅の教えは何かを得るための手段ではなく、むしろ失うためのもの。
・達磨さんが言ったことは、やり尽くせばもはや何もいらないという気持ちに至る、それが一番のご馳走である功徳なのだということ。仏教の考え方は、信じることで何かを得ていくということでなく、その逆。
・失うとは余計なものを削ぎ落とすこと。そうすることで最も大切な本質に目を向けることができる。
・前はすぐに役立たないと言っても、全の考えを知り、それを日々実践し、長期的な視野で利他の心をもって物事を考えれば、いつか必ず自分に返ってくる。
〇不立文字、教外別伝
禅では、文字で書かれたものは解釈次第で変わってしまうため、言葉によって仏教の本質を伝えるのは難しいと考える。禅は究極的には言葉が要らない。
〇働き
一見何の役にも立たなさそうなことに関しては、必要ないのではないかと考えて、積極的にはやろうとしない。禅はそういうことこそ重要視する。理屈を超えたところで即座に反応して適切に行動できるかどうか。それがここでいう「働き」の意味。
〇禅とマインドフルネスの違い
・瞑想するということは同じであっても、本質が全く異なる。
・効果があるからやろうというのは「gain」の考え方になる。禅はそのような考え方は採らない。つまり、一番根本にある瞑想する動機、目指すべき方向が、禅とは全く異なっている。
・欧米でのマインドフルネスの用いられ方は、何かご利益があるから走る。禅ではそういうとらえ方はしない。走るために走る。
・仏教というのは、何らかの神を信じているのではない。釈迦という人間が悟りを得たということを信じている。その悟りの中身は分からない。彼がどのような境地に達したのかは誰にも分からない。だからそれが何なのかを自分で知ろうというのが仏教の修行者たちのそもそもの動機。その先に何があるのかはわからない。でも何かがあると信じて、釈迦と同じように苦行を積む。それが仏教や禅の本質。
・大切なのは、悟りを得たらその経験を世のために使っていくこと。禅の修行はあくまでもその手段にすぎない。そういった意味で、自分の集中力を高めたり、幸福感を得たりすることが目的となっているマインドフルネスとは、考え方が根本的に異なる。
〇禅はグローバルに通じる道
修行では、極限状態を体験しなければならない。それこそ自分自身の精神性をとことんまで追求するのが禅の本質だから。この無意識の領域こそ、自分の持つ力を最大限に発揮してグローバルに生きることと、禅を繋げる大切な要素。
〇禅とリーダーシップ
・思い上がらずに、自分が人としてやるべきことをやる。それで初めて周りがついてくる。リーダーシップというのは身につけようと思って身につけるものではなく、当たり前のことを当たり前にやっていたら自然と後からついてくるもの。
・リーダーシップにおいてはまさに、人としてどうあるべきかが問われている。自分は今何をしなければならないのか。筋を通すということはどういうことか。理屈ではなく、自分の信念に従って考え、そのうえで、それを実行移さなければならない。その考え方は、禅問答に通じる。
「禅はgainではなくloose」。繰り返し本書に出てきます。最近読んだ断捨離本もある意味同じことを言っていました。情報やモノが溢れる時代。削ぎ落としていくと何が残るのか、そこで何を感じるのか。本質に着目するという意味でとても役立つ考え方だと思います。それにしても、著者のような立場にある方に言われると、とても重みがあります。