『風姿花伝』(NHK100分de名著ブックス)(著:世阿弥、解説:土屋惠一郎)
室町時代に能を大成した世阿弥(1363?〜1443?)。世阿弥は能の世界にイノベーションを巻き起こし、演技、物語の形式、内容などのあらゆる面において、「能」の形を確立した。芸能に関する理論が存在しなかった時代に約20もの能楽論を書き遺しました。本書は、世阿弥が父から受け継いだ能の奥義を子孫に残すために書かれたもの。能を語るときに世界を一つのマーケットとしてとらえ、その中でどう振る舞い、どうかって生き残るかを語っている。つまり本書は、芸術という市場をどう勝ち抜いていくかを記した戦略論でもあります。だからこそ、現代でもビジネスや自己啓発という感でも読み継がれているのだと思います。
(印象に残ったところ・・本書より)
◯『風姿花伝』について
・言葉にならないものも、伝統を背景にして心より心に伝えようとするもの。「序」から始まり、第一〜第七の7つのパートから成っている。人生の各ステージの生き方や、芸能という不安定な世界に生きる者にとって何が必要かを説いた戦術の数々。
・序
猿楽の歴史と能役者の心得。
・第一 年来稽古条々
能役者の生涯を「7歳」から「50余」の7段階に分け、それぞれの年代に応じた稽古のあり方を説く。
・第二 物学(ものまね)条々
ものまねは能の基本とし、「女」「老人」など9つのタイプの役柄を演じるためのアドバイスを語る。
・第三 問答条々
能の立合に勝つための実践的な9つの課題について、問答形式で論ずる。
・第四 神儀
猿楽の由来を5か条に分けて語る。
・奥義
大和猿楽古来の芸を会得した上で、他の芸能も取り入れる必要性を説く。さらに、貴人に限らず、一般大衆に愛される重要性を説く。
・第六 花修
能の作品の作り方、大夫の心得などが記される。
・第七 別紙口伝
「花」についての考察。能役者が花を得るための極意を説く。
・新しい物語のシステムを確立した。「二ツ切の能」「複式夢幻能」と呼ばれる。物語が前半と後半に分かれていて、前半に登場した人物の見る夢が舞台上で演じられる。
・この形式を用いればあらゆる物語を能の形にすることができる。あらたりオリジナルの物語を創作しなくとも、既存の物語の舞台に僧が訪れて行けば、同じ構造の物語がどんどんできるわけ。
・パターンが決まっているということは、今度はどの物語が取り上げられるのだろう、後半のシテはどんな装束で登場するのだろうと言った、観客側のヴァリエーションへのj期待にもつながる。
・「二ツ切の能」「複式夢幻能」の構成
◾️前場
①旅僧(ワキ)がある土地を訪ね、見知らぬ者(前シテ)に出会う。
②そのものが土地にゆかりの出来事や人物について見てきたかのように語る(名所教え)
③「私こそ、そのゆかりの者だ」と名乗って消える。
◾️中入り
④(間狂言)で里人(アイ)が旅僧に逸話を詳しく語り、弔いを勧める。
◾️後場
⑤旅僧の夢の中にその者の霊(後シテ)が往時の姿で現れる。
⑥昔の出来事を再現し、苦悩を舞ってみせる。
⑦夜が明け、旅僧が夢から冷めるとともに、霊は消えて行く。
◯「花」
・新しいこと、珍しいこと。人気に左右される芸能の世界で勝つために、世阿弥が至った核心。常に新しいもの、珍しいものを作り出して行くことが大切。
・「珍しきが花」という気持ちを持っていなければ、人々におもしろいと思ってもらえるものにはならない。たとえ繰り返し演じられる演目でも「今日は違うかな」と思わせるものがないといけない。それは何かを考えることが能楽師の役割。
・これは、ドラッカーが提唱するイノベーションとまったく同じもの。一からの創造だけでなく、物事の新しい切り口やとらえ方を創造することが革新なのです。
◯人生にはいくつもの「初心」がある
・世阿弥がいう「初心」は、「最初の志」に限られてはいません。世阿弥は、人生の中にいくつもの初心があると言っている。
・若い時の初心とは24〜25歳になると、いわば成人して声も落ち着き、舞も舞えるようになる。すると周りが「ああ、名人が登場した」「天才が現れた」などど褒めそやしたりする。そこで思わず「自分は本当に天才なのかもしれない」と思ったりするわけだが、実はそれが壁だと世阿弥はいう。その時々の一次的な花にすぎない。そんなところでのぼせ上がるのはとんでもない。そこにまさに初心がくる。
・人間誰しも、すごい新人が現れたと言ってみんなが褒めてくれる時期が一回はくるでしょう。次の年になれば、また新たな新人がやってくる。だからこそ、新しいものへの関心からみんながほめたたえて入れている時、その中に安住してはいけない。
・能役者の頂点は30代だけれども、老いたのちにも初心があるという。世阿弥は、日本の芸術の特徴とも言える「老いの美学」を、新大鯨の世界で初めて確立した人物。世阿弥が言っているのは、老いに向かって行く人生の中で、その時々の工夫をし、自分がどう生きて行くのかを考えようということ。
◯7段階の人生論
①7歳
稽古を始める頃、自ずと備わった風情があるので、子供の心のおもむくままにやらせるのがよい。
②12〜13歳より
稚児姿といい、声といい、それだけで幽玄である。しかしその花は本当の花ではなく、その時限りの花。しっかり基本の稽古をすることが肝心。
③17〜18歳より
人生で最初の関門(能役者にとっては「声変わり」)。ここが生涯の分かれ目だと思い、諦めずに稽古を続けよ。ここでやめれば終わってしまう。
④24〜25歳(初心1)
声も体も一人前になり、新人の珍しさから名人に勝ったりもするが、そこで自分は達人であるかのように思い込むことほど愚かなことはない。そういうときこそ、「初心」を忘れず稽古に励め。
⑤34〜35歳(初心2)
この年頃までに天下の評判を取らなければ「まことの花」とはいえない。これまでの人生を振り返り、今後の進むべき道を考えることが必要。
「上がるは三十四五までの頃、下がるは四十以来なり」
⑥44〜45歳
花が失せてくるのははっきりしている。難しいことはやらず、得意とすることをするべき。後継者に花を持たせて、自分は控えめに。
⑦50余歳(初心3)
もう何もしないという他に方法はないが、本物の能役者なら、そこに花が残るもの。老いても、その老木に花が咲く。
7段階の人生論は響きます。自分の年齢にあった在り方、技術の磨き方があり、そこを見誤ってはいけないということ。現代では、寿命が伸びているので、少し感覚が変わっているかもしれませんが、改めて自分の今後の人生プランを考える上でも参考にしたいと思いました。