MBA男子の勝手に読書ログ

グロービス経営大学院を卒業したMBA生の書評と雑感。経営に関する基本書、実務書のほか、金融、経済、歴史、人間力、マネジメント力、コミュニケーション力、コーチング、カウンセリング、自己啓発本、ビジネススキル、哲学・思想など、幅広い教養を身につけ、人間性を磨く観点で選書しています。

見る 歩く 学ぶ 京都御所(らくたび文庫)

『見る 歩く 学ぶ 京都御所』(らくたび文庫)

 京都の魅力を53のテーマに分けて文庫化したシリーズ。本書は、京都御所、仙洞御所、大宮御所、修学院離宮桂離宮について解説した一冊。写真とコンパクトな解説かつ、テーマが絞られているので、建物や庭の一つひとつが取り上げられているため、結構詳しいという特徴があります。

 

(印象に残ったところ・・本書より)

京都御所

・唐の都にならう条坊制をそのまま採用して造営したことから、京都の地質上の特性などは考慮に入れられず、実際に暮らしてみると左京に比べて、右京は大半が低湿地帯であり、夏には大量の虫が発生するなど、住むことが極めて困難な地勢であった。人々は次第に右京から左京に移り住み、長安城と名が付いた右京は次第に緑地化し、洛陽城と名が付いた左京が実際の京都となっていった。

・紫宸殿の正面入口となるのが南階である。高さ1.5mで幅9m、18の数を持つ階段で、これは一桁の数字の陽数(奇数)の中で最も大きな数字である9を最上の数字と考え、それがさらに2つ重なる18を選んで造営されたと考えられる。

・現在でも9月9日は、五節句の一つである「重陽節句」と呼ばれ、長寿を願って菊酒を飲む風習が残っており、上賀茂神社では「重陽の神事」が行われ、無病息災が祈願される。このことから、紫宸殿の北西隅に付けられた木階の段数もやはり9段となっている。

 

◯仙洞御所

・仙洞御所の仙洞とは、俗世間を離れた清らかな土地で、仙人が住む場所という意味があったことから、天皇を退いた上皇が住む場所のことを仙洞御所と呼ぶようになった。御所を退出して住むということで、場所としては原則的に里内裏の制度に沿って貴族の邸宅があてがわれた。

・現在のように御所近くに仙洞御所が造営されるようになったのは、江戸時代初期の後水尾天皇の頃で、天皇と融和を図っていた幕府の指示によって小堀遠州らによって造営された。しかし、王朝の美の継承者を自負する後水尾天皇は、自らの意思を表現するべく遠州の造った庭園を自分好みに強引に造り変えたという。

 

修学院離宮

江戸幕府の援助を受けた後水尾上皇が、17世紀の中頃に自らの山荘として造営した。上皇は34歳で退位すると、以後は和歌や茶の湯、花、管弦などに親しみ、また京都洛北の岩倉や長谷へ御幸を繰り返し、比叡山を臨む地に山荘を営みたいとの思いを強めていた。1655年に妻である東福門院とともに修学院の草庵・円照寺を訪ねた際、自身が建てた茶亭・隣運亭からの見事な風景に感動し、この地に山荘を営むことを決意した。

 

桂離宮

・京都・桂川のほとりに広がる桂離宮は17世紀初頭、智仁親王・智忠親王父子によって、約40年の歳月をかけて完成された元八条宮家の山荘である。建物から眺める庭園を計算し尽くした造形美と、随所に見られる研ぎ澄まされた美意識は、ドイツの建築家・ブルーノタウト氏によって「泣きたくなるほど美しい」と絶賛され、世界的名声を得た。八条宮家は、後に京極宮、桂宮と名を変えて1881年に断絶し、以後は宮内庁管轄となっている。

 

 いずれも地元の名所ですが、子供時代には全く関心がなく、京都に転勤になったタイミングでもあるので、色々巡ってみようと思っています。そして、せっかく巡るなら、学びを深めて社会科見学深掘り編として行ってみたいと思って、観光系の書籍がレパートリーに入り始めています。地の利を活かして、1日1箇所に絞って回ってみようと思います。釣りとの両立がが悩ましい。。。

見る歩く学ぶ京都御所 (らくたび文庫)

見る歩く学ぶ京都御所 (らくたび文庫)

  • 発売日: 2014/03/01
  • メディア: 文庫
 

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