『運命を開く』(安岡正篤)
安岡正篤人間学シリーズより。運命(命を動かすダイナミックスさ)を開いていくには、徳性が大事であり、これがあれば、知識や技能は付いてくるもの。極端に言えば、知識や技能がなくても徳性があれば、人間らしく生きていくことができる。運命を開くために必要な徳性とは何かということを伝える一冊です。
(本書より・・印象に残ったところ)
◯始終訓
一.人の生涯、何事によらず、もうお終いと思うなかれ。
未だかつてはじめらしき始めを持たざるを思うべし。
一.志業は、その行きづまりを見せずして一生を終わるを
真実の心得となす。
一.成功は、一分の霊感と九分の流汗に由る。
退屈は、死の予告と知るべし。
◯不昧因果
・大修行をするということは、因果の法則を無視するとか、因果の法則を超越するというような、そんな意味ではなくて、この複雑極まりないところの因果の法則というものは、実は普通の人間関係にはわからない。その因果の法則をハッキリさせること、ごまかさないだけのことである。
・不養生をすれば病気をするという因果、それをハッキリさせる、いい加減にしておかない。ハッキリその因果の法則に従って実践する。これが修行。つまり、科学をはじめ、全ての学問は「不昧因果」である。
◯人間の4要素
①徳性
一番大事な人間たる本質、人格としての人間たる本質申すべき「特性」。心の明るさ、清さ、それから人として人を愛する、助ける。人に尽くす、恩を知る、恩に報いる。正直、勇気、忍耐等、そういう貴い心の働きがある。
②知能・③技能
知識だの技術だのというものは、あるに越したことはない。いくら便利な価値のあるものであっても、これは属性的価値しかない。本質的価値は、徳性にある。
④習慣
「習慣は第二の天性である」「人生は習慣の織物である」。良い習慣をつけるか、悪い習慣をつけるかによって、まったく人間が変わってしまう。
◯道徳
・道徳とは、一般観念と違って、最も自然なもの。道徳は特殊なもの、不自然なもの、何か作為的なもの、強制的なものだと考えることが根本的な間違いで、逆に、道徳というものが一番自然なもの、最も真実なものであるということは、はっきりわきまえなければならない。
・道徳というものは、小なり大なり人間のあり方、人間の行動をいかに自然にするか、いかに真にするか、美にするか、人と人との間をいかに良くするか。これが道徳。
◯人生すべて「務本立大」
・なるべく「本に反(かえ)る」ということが大事。人生すべてそうであって、難しい問題ほど本に反るということを始終考える必要がある。
・孔子も「君子は本に務む」→「務本」と言っている。
・孟子には、「先づその大なるものを立つ」→「立大」とある。
・「務本立大」ということが儒教の一根本教理と言っていい。
・「本を務め」なければならない。そういう精神が、何が「大なるもの」かを知らせる。「務本立大」をやらなければ、学問をやっても毒になる。修行をしても損なわれることが多い。
◯専門化の落とし穴
・抹消化、即ちだんだん分派するうちに、次第に根や幹から遠ざかる。根から幹まで遠ざかるということは、それだけ生命力が稀薄になる。それから全体統一を失ってくる。だから抹消部分というものは非常に脆弱で、すぐ枯れ、すぐ散る。分派するほど、そこに統一というものがなければならない。統一があることによって、初めて全体と結ばれ、永続ということができる。つまり、全体性とか、永続性・永遠性というものは、統一によって得られる。
◯人間の本質徳性
・人間内容には、「本質的要素」と「属性」と2つある。
・我々の才智・芸能というものはもともと属性である。どんなに立派であっても、どんなに有効であっても、要するに付属的性質のもので、決して本質ということができない。本質というものは、これあるによって人間であり、これがなければ人間ではないというもの。これに付け加えられるものが属性。才智芸能はあるに越したことはないが、ないからとて、人間であることに別段致命的関係はない。
・人間たることにおいて何が最も大切であるか。これをなくしたら人間で無くなるというものは何か。これはやっぱり徳性。徳性さえあれば才智芸能は要らない。否、いらないのではない。徳性があれば、それらしき才智芸能は必ずできる。
◯子供の徳性と鍛錬
・子供の特性の最も本質的・根源的なものは、第一に暗い明るいということ。まず光明を愛します。明るいと同時に浄いということ、清かということ、朗らかであること、清く赤き心、清けき心。これは古神道の根本原理で、人間の子供も、これを根本徳とします。
・だから、子供は常に明るく育てなければならない。明るい心を持たせ、清潔を愛するようにしなければならない。それから素直ということ、真っ直ぐということ、即ち「直き心」、仏法でも「直心(じきしん)」という。直心が人間を作る道場。
・次に忍耐。天地は悠久。造化は無限である。従って人間も久しくなければいけない。ものを成してゆかねばならない。それは仁であり、忠であり、愛であるが、それを達成してゆくものは「忍」である。
・徳性というものが発育するにつれて、これから出るところの枝葉である知識とか、技能というものは、どんどん伸びる。知性や技能の基本的なものも、したがって幼少のうちに根を下さなければいけない。知識・技能というものは、大人になってからではなかなか本物にならない。
徳性は、木で言えば、根や幹にあたるもの。この大切な芯になる部分をどのように培っていくのか。自分らしく育てていくのか。まさに人間学の根本であり、見失ってはいけない部分ですね。受験勉強を中心とした学校教育では学ぶことが少ないこの部分。大人になってから気づいてもなかなか本物にならないとありますが、気づいたときが変わりどき。しっかりと学びたい部分です。私の場合、子供の頃から歴史書を読んでいたので、これがいろいろな人物の生き方を学び、自分の人生を考えるきっかけになっており、今になって思えば、これは良かったと思える部分です。