『呻吟語』とは、中国の明末世宗の時代(1536年)に生まれた呂新吾が著した人生練磨の著書です。呂新吾という人は、陽明学とか朱子学とか何学というような一学派に範疇に入るべき人ではなくて、彼自身学問そのもの、道そのものというてよいぐらい自由の聖賢の学に参じている。呻吟語は生々しいというか痛いほど今日の現実生活に響く、そうして考えさせられ、反省させられ、また感動させられる、実に限りない妙味のある本。そう評する、昭和を代表する東洋哲学の大家である安岡正篤さんが紹介する『呻吟語』に対する解説講義録です。
(印象に残ったところ・・本書より)
◯当然、自然、偶然
自然というものを人間が研究すると、自然の中に必然あるいは当然の法則を発見するものである。ところが、其の自然の研究が足りないと、自然の中の必然、あるいは当然の法則がわからないので、人間は当然を偶然と錯覚する。そこに偶然ということが起こってくるのであって、要するに偶然というのは知識の欠如を表すものである。
だから人間のできた人は自然の法則をよく研究し、そこから人間としてどうしなければならぬかという当然を尽して、そうしてたまたまその知識が及ばないで思いがけないこと、つまり偶然が起こっても、それは実は必然であり、当然なのである。自然に対する研究が足りなかったからわからなかったのであると考えて、その偶然に惑わない。
ところが小人はそこまで徹しないから、偶然にとらわれて、自然にもとって、そうして我ら何をなすべきやという当然を棄ててしまう。それでは偶然というものがわからない。
◯事を賊するもの
曲士の拘談。一分野のことしか知らぬ人間の話はその自分の分野に拘泥するもの。いわゆる専門家などは広い意味でいうと曲士である。
◯上士、中士、下士
人間の本当にできた人は道徳を重んずる。中等の人間は功名を重んずる。下等の人間は文学とか詩歌、芸術といったものを重んずる。いわゆる一山百文の人間は風紀を重んずる。
◯7つの識
7つの識は皆大事なものばかりであるけれど、これをすべて兼ね備えるということはできない。その中でも一番難しいのは事変の識であり、一番貴いのは濶大の。
①人情の識
同じ理でも頭の理と情の理とでは内容も質も浮世の経験を積み苦労したものでないとわからない。
②物理の識
物理などというのは物の理だから極めて明白で、科学がこれを明らかにしておるというけれども、これも単なる知識と見識とでは大いに違ってくる。なかなか本当の物理は難しいもの。
③事体の識
表面に現れたものだけではなく本体を掴む。すべて物事には現象と内容の両面があって、表面に現れるほど認識しやすいけれども、それは文字通り皮相である。それに比べて内容は、ことに本体ほど奥深く隠れておるから、これはなかなか把握することが容易ではない。
④事勢の識
問題や事件というものは、千変万化してやまないエネルギーを持っておって、決して静止したものではない、機械的・論理的い動くものではない。その微妙なエネルギーの動きをとらえる見識が事勢の識。
⑤事変の識
事勢はいわば大観した語で、それを個々の事実に即して言えば、事変に外ならない。浅薄な理知だけでは容易に知ることができない。
⑥精細の識
いろいろな部分に亘っての突っ込んだ詳しい識。いくら制裁の識があっても、一局にとらえられておったのでは、問題・事変の解決はできない。
⑦濶大の識
小さいことに拘泥しないで大まかに論断・決断する識。精細な識を持ちながら部分部分や枝葉末節にとらえられないので、よく全体を把握して決断する。全体がわからなくては何もならない。
◯4つの難
①人をつまびらかにする
②自分をつまびらかにする
③事をつまびらかにする
④時をつまびらかにする
◯明白簡易
・何事も明白でなければならない。殊に重要な問題ほど明白でなければならないことは言うまでもない。曖昧模糊としておるようでは、問題はさばけない。
・物事は煩瑣になるほどよろしくない。いくら精細であっても現れる形はどこまでも簡易であるということが大事。達人の優れた表現・言論は極めて明白簡易である。
◯人間の品格
人間の内容いかん、ということを突き詰めて考えて行くと、人間には本質的要素と付属的要素がある。本質的要素とはこれがなければ人間であって人間でないというもので、つまり徳、徳性。才・才智、知性とか知能、あるいは技能というようなものは、もちろんこれも人間にとって大切なものには違いないけれども、人間の本質という点からいうと付属的要素。
◯朝に道を聞く夕に死する可なり
貧乏だからといって別に羞ずるに足らない。羞ずるべきは貧乏に負けて志をなくすことである。地位や身分が卑しいからといってこれを悪むに足らない。悪むべきはその為になんの能力もないということ。年をとったからと行って歎くにならない。歎くべきは老いて虚しく生きること。
◯深沈厚重の徳を養う
どっしりと深く沈潜し厚み・重みがあるというのはこれ人間として第一とうの資質である。大きな石がごろごろしておるように、線が太くて物事にこだわらず、器量があるというのは、これは第二等の資質である。頭が良くて才があり、弁が立つというのは、これは第三等の資質である。
他にも響く言葉は多かったのです。『呻吟後』だけでもいくつか書籍があるので、重ね読みをして、内省機会を増やしていきたいと思います。『呻吟語』の中でも、どの書籍がいいかまだ判別がつかないのですが、『呻吟語』自体が魅力的です。