『活眼活学』(安岡正篤)
最近「活学」という言葉がキーワードになっています。「活学」と言えば、安岡先生。ということで、かなりたくさん読んできましたが、そう言えば、この本読んでいないことに気づき、読んでみました。本書は、全国師とも協会の機関誌であった「師と友」に昭和30〜50年代にかけて掲載された論講から選んで発刊されたものです。活眼活学の重要性に触れることができると思います。
(印象に残ったところ・・本書より)
◯エネルギーある人間になるための心がけ
①良い師友や友達を持つ、つまり交際に注意をすること
同じような人間が、同じような生活をして、そういう連中だけが付き合っておっても物にならない。毎日見慣れておる顔を見て、決まり切った話をして、決まり切った生活を繰り返しておるために、だんだん無内容、無感激、いわゆる因習的マンネリズムというものなってしまう。
②読書をするということ、良い書を読むこと
精神世界というものに得るところある人間的教養の書物というものをできるだけ豊かに持つということ。
◯知識・見識・胆識
・知識:薄っぺらな大脳皮質の作用だけで得られる。これは人間の信念とか行動力にはならない。
・見識:事に当たってこれを解決しようというときに、こうしよう、こうでなければならなぬという判断は、人格、体験、あるいはそこから得た悟り等が内容となって出てくる。
・胆識:いろいろの反対、妨害等を断々乎として排し、実行する知識・見識
◯切磋琢磨の3原則
①ものを目先で見るのと、長い目で見るのと両方ある
双方で結論が逆になる。原則としては、やはりできるだけ長い目で物を見るということを尊重しなければならない。
②物を一面的に見る方と、多面的あるいは全面的に見る方とがある
できるだけ我々は多面的に、できるならば全面的に見ることを心がけなければならん。
③物を枝葉末節で見るのと、根本的に見るのとの違い
往往にして結果が正反対にもなる。やはりできるだけ、根本に帰って見れば見るほど、物の真を把握することができる。
⇨そこで最初に我々が注意しなければならんことは、この問題を我々は長い目で見て議論するか、多面的・全面的に見て議論するか、根本的に見て議論するかということと、この議論は枝葉末節の議論である、一面的な議論である、目先の議論でありはせんかということとを区別すること。これを区別してかからんと、徒に混乱したり、もどかしかったり、いろんなことで結論が出ない。
◯自分
・あるものが独自に存在すると同時に、また全体の部分として存在する。その円満無礙(えんまんむげ)な一致を表現して「自」と「分」とを合わせて「自分」という。
・我々は自分を知り、自分を尽くせば良い。しかるにそれを知らずして、自分自分と言いながら、実は自己、私をほしいままにしておる。そこにあらゆる矛盾や罪悪が生じる。
・命(めい):自分がどういう素質能力を天から与えられておるか
・知命:命を知る
・立命:知ってそれを完全に発揮していく、即ち自分を尽くす。
・天命:命とは先天的に賦与されておる性質能力
・運命:後天的修養によって、ちょうど科学の進歩が元素の活用もできるように、いかようにも変化せしめられるもの、即ち動きのとれぬものではなくて、動くものである。
・宿命:動きの取れない、同にもならない定めのごとのように思い込む。
⇨人間の天命はそんないい加減なものではなくて、修養次第、徳の修め方如何でどうなるか分からないもの。
◯日用心法
①自分は毎日の飲食を適正にやっておるか。過度や不合理でないか。
②毎晩よく眠れるか。
③自分の心身に影響を与えておるような悪習慣はないか。
④適当な運動をしておるかどうか。
⑤自分は日常生活上の出来事に一喜一憂しやすくないか。
⑥例えそういう精神的動揺があっても、仕事は平常通り続け得るかどうか。
⑦絶えず次のようなことを自分で反省し、修養する必要がある。それは毎日の仕事に自分を打ち込んでおるかどうか。
⑧自分は仕事にどれだけ有能であるか。
⑨現在の仕事は、自分の生涯の仕事とするに足りるかどうか。
⑩仮に自分の仕事がどうしても自分に合わぬ。自分の生活が退屈であるとすれば、自分の満足を何によって得るかという問題。
⑪とにかく自分が毎日絶えず追求する問題を持ち続けるということ。
⑫自分は人に対して親切であるか、誠実であるか、ちゃらんぽらんではないか、を反省すること。
⑬自分は人格の向上に資するような教養に務めておるかどうか。人間を作るいいの教養に努力しておるかどうか。
⑭特に何か知識技術を修めておるかどうか。
⑮自分は何か信仰・信念・哲学を持っておるかどうか。
「知識・見識・胆識」、「命・知命・立命・運命・宿命」。この箇所は、別の著者の書籍で読んで感銘を受けたところですが、言葉を意識すると、自分の中で感覚が生まれてきて、やがて使い分けを意識するようになり、行動・発言に対する気づきも深くなっていきます。学びから実践、そして振り返り、また実践。このような繰り返しが生まれ、自分のステージが一段上がる感覚が私にとっての活学かなと感じます。読書は手近にある優れた活学の手段ですが、読んでその後どうするか。すぐに使わない知識を学ぶことに意味があるのか。楽しむ読書に意味があるのか。かなり整理が進んでいます。