ウィンストン・チャーチル(アンソニー・マクカーテン)
『ウィンストン・チャーチル』(アンソニー・マクカーテン)
元英国首相チャーチル(1874年〜1965年)の生涯を綴った一冊。2018春に映画化もされましたね。強面で個性が強く、演説が有名という印象ですが、実際どんな人だったのか、個性が見えてくる人物像を知るのに適した内容でした。
(印象に残ったところ・・本書より)
◯弁論のやり方
・古代ローマの政治家であるキケロから多くを学んだ。まずは、祖国や自分自身、自分の依頼人や申し立て内容への共感を煽り、その後、ローマ人の雄弁家がエピロゴスと読んだ直接感情を揺さぶる訴えをして聴衆全員の心を動かし、涙を誘う。
◯危機に瀕した国のリーダー
・意外な資質が求められる。それは、懐疑心。リーダーには自分自身の判断を疑い、相反する2つの案を同時に検討した上で総合的な判断を下す度量がなければならない。どちらか一つに決めてしまうのではなく、あらゆる意見に耳を固め受ける余裕が必要。
◯人気がない時代から英雄へ
・かつてのチャーチルはあまり人気がなかった。自己中心的な性格で、「アメリカ人との混血」でもあるチャーチルはしじゅうジョークの種にされた。
・頼れるものはただ一人、自分しかない孤立した存在だった。現在では、イギリス国内にチャーチルの名を冠した約3500の酒場やホテル、1500以上のホールや施設、そして25の通りがあり、ビールのコースターからドアマットまであらゆる場所に彼の顔が描かれている。
◯社会のお荷物
・チャーチルの日々の飲酒量は、現在の基準に照らせばアルコール依存症予備軍に該当するだろう。
・何者をも恐れない剛胆さを持ちながら自信と自己懐疑が同居し、攻撃的で喧嘩早いのに見苦しいほど優柔不断である複雑な性格。
・人生の最初の27年間を大英帝国が権力の絶頂にあったヴィクトリア女王の統治のもとで過ごしたことで、イギリスがその優位をもって他の国を導くのが当然であるという前提のもとに世界観が形成された。
◯小学生時代
・チャーチルは決して勉強が得意ではなかったため、一番下の成績のクラスに入れられた。古典は苦手だったが、国語と歴史は得意で、のちにそれが大いに役立つことになる。
・ソマヴェル先生という情熱的な先生の担当は、「劣等生に対して最も世間で軽んじられていた教科、英語の作文を教えること」だった。ここで叩き込まれた単語や文、構成、文法はチャーチルの「地肉となり」、生涯失われることはなかった。
◯感情(涙)
・チャーチルは、生涯を通じて非常に感情豊かで、自分の気持ちを表に出す人物として知られており、親しい友人の前だけでなく、部下の政治家や兵士の前でも人目をはばからず涙を見せたという逸話がいくつも残っている。
◯勉強
・自分の心の奥にある否定しようのない学業コンプレックスを自覚したチャーチルは、猛烈に勉強を始める。「歴史・哲学・経済書をはじめとする様々な本を読もうと決心」し、母親に「そうした分野で私が聞いたことのある書籍を送ってくれるよう頼んだ」。
・1896年11月〜翌年5月の間に、チャーチルは毎日4〜5時間程度を読書にあて、歴史・哲学・詩・エッセイ・伝記・古典などを読みふけった。読書づいたチャーチルはなんと、イギリスの国会討論や法制度の発展過程を記録した『マニュアル・レジスター』という年鑑全27冊まで読破した。これは頭脳マラソンんであり、知的強化合宿であり、自分がリーダーになることを自覚し始めたチャーチルの将来に向けた準備だった。彼は偉人たちの知恵を身につけ、人類という種とその苦しみに共感する偉大なリーダーになろうと決意していた。
◯生活リズム
・夜遅くまで頭を働かせられるよう、チャーチルは午後に2時間ほど仮眠をとり、その後夜7時に(朝に続いて)2度目の入浴をする習慣があった。この決まりは絶対だった。「お湯の量はバスタブの3分の2。最初はピッタリ37度で、お湯に浸かったあとに40度に上げると決まっていた。(中略)彼はお湯を無駄にするのを好まなかったが、そのくせバスタブの中でくるくると回るのが好きだった。
・ベーコンエッグの朝食をとったあと、1時間ほどかけてその日最初のウイスキーの薄いソーダ割りを飲む。朝食の定番である紅茶の代わりにドイツ製の甘い白ワインを飲むようになった。昼食の時にボル・ロジェのシャンパンを1本飲み、夕食でさらに一本空けたあとは、真夜中までかけて上等のポートワインかブランデーをすする。こんな男が歴史上最大の危機にさらされた国を率いていたのだ。
破天荒で自由人、そして尋常ではない熱意と行動力。近くにいるとストレスがたまりそうですが、、、歴史上の人物として人物研究をする対象としては、とても魅力的な方です。