『史上最強の哲学入門』(飲茶)(◯)
本書は、西洋哲学の大きな歴史の流れを31人の哲学者・宗教家の主張とともに振り返る内容です。別冊の東洋哲学編とともに読むと、哲学の全体像が見えてきます。小難しくなく、親しみやすい文調で書かれていますので、哲学初心者の方にも読みやすい入門書と言えます。ここから初めて、興味を持った哲学者の著書の方に移行していくのがいいかなと思います。どこから手をつけていいのかわからない哲学領域において、とっても助かる一冊です。
【本書の学び】
①西洋の歴史は一直線上の「記録」。東洋の歴史は螺旋状で「本質の語り」。
②理性で知ることの真理には限界がある。「なぜ」を繰り返し続けたその先は行き詰まる。だから哲学よりも神学が上位にくる(神という存在を置かざるを得ない)。
③言語体系の違い=区別体系の違い(何を区別するかという価値観の違い)
(印象に残ったところ・・本書より)
◯プロタゴラス(「人間は万物の尺度」)
・相対主義を代表する哲学者。
・「善悪」「美醜」「冷たい・温かい」などは、それぞれの人間が自分の尺度(価値観)で勝手に決めたものに過ぎない。
・相対主義を是とせず、絶対的な価値、真理といった「本当の何か」を人間は追究していくべき。
・「無知の知」は単なる謙虚な人は偉いということではない。無知の自覚こそが真理への情熱を呼び起こすもの。
◯デカルト(「我思う、ゆえに我あり」)
・ありとあらゆるものを疑う。疑っても疑っても疑いきれないものが真理の条件と考えた。
・どんな懐疑にも耐えられるもの。それは、まさに「疑っている自分自身」だった。
◯ヒューム(懐疑論)
・もともと「私」という存在なんか「さまざまな知覚の集まり」に過ぎない。結局のところ、「私」とは、あるときは快適で、あるときは痛いといった、次つぎに現れる知覚(経験)が継続することによって生じている懐疑的な感覚に過ぎない。
◯カント(批判哲学)
・人間は何かを見るときには、必ず「空間的」「時間的」にそれを見ているという経験の仕方について、共通の形式があることを見出した。
・真理とは人間によって規定されるもの。人知を超えた真理から人間にとっての心理へ舵が切られた。
・対立する考えをぶつけあわせ、闘争させることによって、物事を発展させていく。
・ヘーゲルの哲学は人間味のない哲学だと批判。
・私にとって真理だと思えるような真理。私がそのために生き、そのために死ねるような真理。そういう真理を見つけることこそが重要。
・人間は自由の刑に処せられている。
・人間とは何を選んでいいのかわからない世界に、頼んだわけでもないのに突然放り込まれ、「君の人生なんだから好きに選びなさい」と自由を強制されて何事かを選択させられた挙句、その選択で失敗したら「お前が選んだんだからな!」と責任を負わされるという宿命を持って生まれてくる。
・人類の歴史とは、たった一つのゴールに向かって進展するものであり、俺たち西洋人はその最先端を歩んでいる。それ以外の異文化の人々は、俺たちのはるか後ろから遅れて付いて来ている発展途上の連中であるという当時の考えを、そんなのは西洋人の思い上がりで、ただの勘違いに過ぎないと否定。
・「で、それって結局、何の役に立つの?」という観点で全ての物事を考えましょう。人間の思考(理性)とは単に生きるための道具に過ぎない。
◯デリタ(脱構築)
・話しての意図よりも読み手の解釈の方を大事にしましょう、という価値観の逆転を提案。
◯レヴィナス(他者論)
・他者とは、私という存在を自己完結の一人ぼっちから救い出してくれる唯一の希望であり、無限の可能性でもある。
・厳密な三角形、厳密な線というのは実は誰も一度も見たことがない(超拡大するとギザギザになっていたりする)。究極の理想の何か(イデア)は現実世界とは違う別世界に本当に存在すると考えた。両方を見て頭の中で比較しているからこそ言えること。
◯アリストテレス(論理学)
・「イデアなんて本当にあるの?あるってことをどうやって確かめるの?仮にイデアが本当にあったとしても、それが一体何の役に立つの?」
・あらゆるものの特徴を観察した。その特徴を体系的に整理・分類した。アリストテレスが万物の祖といわれる所以はここにある。
哲学は一人の主張だけ読んでも「何のことやら?」って感じでしたが、哲学の流れ、歴史的背景を考えることでとても興味が湧く存在になりました。そして、この終わりのない哲学論争は弁証法のように螺旋状に上がっていくような気がします。そして、「これで完璧!」がないからこそ、哲学に注目し、面白さを感じることができるのだと思います。