自分であり続けるために(田坂広志)
『自分であり続けるために』(田坂広志)(◯)
副題に「流されず、今を生きる50のメッセージ」とありますが、50+前後2つのメッセージを合わせた52の詩集です。1つ1つが、これまでの著者の書籍にも紹介されており、こうやってまとめられると、学びが深まる思いがします。
したがって、本書から読むというよりは、他の著者の書籍を読んで、著者の考え方に共感される方が読むのに適した一冊だと思います。
(印象に残ったところ・・本書より)
◯「演技」と「対話」の心得
舞台夕鶴の一千回公演で知られる山本安英が、著書の中で、次の言葉を語っています。
「相手役のせりふの内的意味がきちんと聞き取れれば、自分の言葉は、自然に口をついて出てくるはずです。ですから、舞台で相手の演技がとても良かったと思うとき、そういうときこそ、自分も正しく演技ができているのですね。今日の舞台は我ながらよくできた、などと自分で思うときは、たいていはだめなのですね。」
この山本安英の言葉は、「演技」について語られたものですが、「対話」というものを考えるときにも、深い示唆を与えてくれます。
なぜなら、「対話」という行為において、我々はいつも、次に自分が語るべき言葉に気持ちを奪われ、今相手が語っている言葉に耳を傾けることを忘れてしまうからです。
そして、我々はいつも、相手の共感を得たいという気持ちに支配され、相手に共感する心を忘れてしまうのです。
⇨上記の一節を読んだときに、私は、まさに、日常でよくある場面のことだと、痛感させられました。相手と横の関係で、寄り添って聞く。傾聴すると言われますが、相手が話し始めると、「どのような質問をすれば相手のためになるか?」などと思いながら、頭の中は次のようなことを考えてしまっています。
相手の話をイメージし、その先何が語られるかを予想し、相手の気持ちを推察し、次に自分が評価される効果的な一言を発したいと思っている。相手の話を聞くことよりも、自分が評価されることを考えてしまう。
逆に、自分が話しているときに、相手の頭の中が、 私への次の一言をどう発しようかで一杯だということが分かったとすると、ちょっと悲しくなってしまいます。
本当に100%寄り添って、相手の話を聞けば、自然と次の言葉が口から出てくるのか?それとも真っ白になって、空白の時間ができるのか?その怖さはありますが、これは人生においてとても大切な行動であり、日々繰り返されることだからこそ、気づいたときが、改善のタイミングだなぁと感じました。