『運命を創る』(安岡正篤)<2回目>
安岡正篤人間学シリーズ。我々の存在、我々の人生というのは一つの命(めい)。動いて已まざるものであるがゆえに「運命」という。「運命」はどこまでもダイナミックスなものであって、決して「宿命」ではない。複雑極まりない因果関係を操作して新しく運命を創造変化させていくことを「立命」という。本書は、この動いて已まざる「命」を自ら作り出すための東洋思想の教えがまとめられています。
(印象に残ったところ・・本書より)
◯思考の三原則
①目先にとらわれないで、でいるだけ長い目で観察する
②一面にとらわれないで、できるだけ多面的、できるなら全面的に考察する
③枝葉末節にとらわれないで、できるだけ根本的に観察する。
◯明治維新の奇跡
・明治が革命にならないで、維新で立派にやれたのは、人物と教養の問題。明治維新のあんなに能率・格調等立派にいったのは、少なくとも幕府以来の学問・教養・人物のおかげ。
・教学というのと修練、それによるところの人物や学識・識見、それから生ずる思いきった政策の断行、これがあって初めて明治維新が成功した。
◯明治の教育の失敗
・何はともあれ西洋に負けない近代文明を日本が作り上げねばならぬ。なんとかして一刻も早く追いつき追い越さねばならぬ。大躍進しなければならぬ。それには、人材が要る。けれど、そんな有能・有用な人材をいっぺんに作るわけにはいかない。これは大学でしか作れない。そこで急いで大学の予備校を作った。これがいわゆる高等学校。その予備教育を中学においてやる。その基礎教育、初歩教育を小学校でやる。
・つまり、上は大学から下は小学校まで、明治教育は、学校教育を主眼として、その学校教育においては、西洋近代文明の模倣・再現に役立つ知識・技術を早く習得させるということになった。
・大事な本質的要素を、人物・徳性というものを養うことは修身教育くらいになって、全力をあげて知能教育、技能教育、すなわち知識・技術の修得になった。明治時代は、まだ旧幕府の余徳で、いわば先祖の財産で暮らせたように、それほど弱点を出さなかった。
◯六然
①自処超然(じしょちょうぜん)
自分自身に関しては一向物に囚われないようにすること
②処人靄然(しょじんあいぜん)
人に接するには人を楽しくさせ、人を心地よくさせること
③有事斬然(ゆうじざんぜん)
ことがあるときは愚図愚図しないで活き活きと。
④無事澄然(ぶじちょうぜん)
事なき時は水のように澄んだ気でおる。
⑤得意憺然(とくいたんぜん)
得意な時ほど静かで安らかな気持ちでいること。
⑥失意泰然(しついたいぜん)
あっさりしている。失意の時は泰然自若しておる。
◯六中観
①忙中閑あり
ただの閑は退屈して精神が散じてしまう。忙中に掴んだ閑こそ本当の閑。
②苦中楽あり
苦中の楽こそ本当の楽で、楽ばかりでは人を頽廃させるだけ。
③死中活あり
「身を棄ててこそ浮かぶ瀬もあれ」。
④壺中天あり
人間はどんな境地にありましても、自分だけの内面世界をつくり得る。いかなる壺中の天を持つかによって人の風致が決まるもの。
⑤意中人あり
我々は、多少志があり何か事をなそうとすれば、意中の人を持たなければならない。
⑥腹中書あり
頭の中の薄っぺらな大脳皮質にちょっぴり刻み込まれたようなのでは駄目なので、わが腹中に哲学、信念がある、万巻の書がある。そうなっていないといけない。
◯人生の五計
①生計
文字通り生きるはかりごと。我々がどうして生きるか。肉体的・生理的にどう生きていくか。言うなれば、養生法といっても良い。
②身計
社会人として、職業人として、どういう風に自分の身を処して行くか。
③家計
自分の家庭をいかに維持していくか。
④老計
いかに年をとるか。人間はだてに年をとるのではない。老年はそれだけ値打ちのあるものでなければならない。
⑤死計
「死計」即「生計」。初めの生計はもっぱら生理的な生計であり、一方、老計を通ってきた死計というものは、もっと精神的な、もっと霊的な生き方。つまり、普及不滅に生きる、永遠に生きる計りごとであり、いわゆる生とか死というものを超越した死に方、生き方。
⇨要するに人生には、生計、身計、家計、老計、死計とあり、これが順ぐりに回り、また元の生計に戻る。このようにして無限に人生、人間というものが発展していく。これすなわち「人生の五計」。
◯人間学・人生学の書
・人間学・人生学の立場から和漢の学問を分類すると四部の学(経・史・子・集)というものがある。
①経
いかなる場合にもこれから離れることができない、人生に最も原理的な指導力のある書。
②史
我々がいかに生くべきかの原理「経」を根本として、我らいかに生き切ったかという生活の記録でありいかに生くべきかの理法を明らかにするもの。
③子
人生に独特の観察と感化力とを持つ秀でた一家の言。
④集
我らいかに生くべきかという原理、我らいかに生き切ったかという体験、その思索や情操が、ある人格を通じて把握表現されたもの。
・歴史的所産である古典に親しむこと
『古事記』『日本書紀』『古典拾遺』『小学』『孝経』『大学』『中庸』『論語』『孟子』『荀子』『礼記』『左伝』『書経』『詩経』『易経』『近思録』『伝習録』『唐宋八家文』『菜根譚』『古文真宝』『四十二章経』『法華経』『勝鬘(まん)経』『維摩経』『史記』『十八史略』『資治通鑑』『太平記』『平家物語』『新皇正統記』『日本外史』『日本政記』『中期事実』『プルターク英雄伝』
◯八観法
①通ずれば、その礼するところを観る。
②貴ければ、その挙ぐるところを観る。
③富めば、その養う所を観る。
④聴けば、その行うところを観る。
⑤止まれば、その好むところを観る。
⑥習えば、その言うところを観る 。
⑦貧すれば、その受けざるところを観る。
⑧窮すれば、そのなさざるところを観る。
一般的に言われる「運命」は定まったものでしょうが、それは、止まったもの「宿命」であって、「命」(めい)とそれを動かす法則を知れり、主体的に「命」を動かしていくことが「運命」という考え方。本来持っているものと、それを意識してどう考え、行動するか。そこに人間学の意味があるのだなと思います。本書も自分の考え行動と照らす振り返りシート行きです。